――まずはプロデューサーでもある黒澤さんに、「色の街」製作に至った経緯を伺いたいです。
黒澤:私と監督・森平は早稲田大学の学生劇団「てあとろ50’」に所属していたのですが、早稲田演劇や小劇場自体への客足が遠のいていることを肌で感じており、「このままだとまずいよね」と思っていたんです。
加えて、ドラマなどに出させていただく中で、キャスティングにしがらみがあり、劇団に所属するおもしろい俳優が活躍する場が少ないということを知り、小劇場の役者が活躍するきっかけになれば、という思いから映画を撮りたいという話になり、「色の街」の製作に至りました。
――劇団「てあとろ50’」にて活動されていたとのことですが、もともと役者志望だったのですか?
黒澤:はい! 中学生の頃に腰椎椎間板ヘルニアという病気を発症し「何もしないで死ぬのは嫌だ」という思いを抱くようになったこと、そしてその際ドラマや映画に励まされたことをきっかけにエンタメを“作る側”になりたい、と思うようになって。
大学は法政大学に通ったのですが、プロを目指すなら「日芸か早稲田か」という意識があったことから、早稲田大学の学生劇団「てあとろ50’」に入団しました。大学のキャンパスが早稲田から2駅の飯田橋にあって通いやすかったこともあります。
――監督の森平さんとは劇団「てあとろ50’」の同期だったんですよね?
黒澤:そうなんです。1年生で入団して以降、森平とは一緒に何作も作りました。森平は脚本と演出、たまに役者。黒澤は最初は役者として活動していたんですけど、次第に脚本や演出にも挑戦するようになりました。
プロの現場だとお互い年齢や経験も違うので、言われたことに素直に納得できたりすると思うのですが、やっぱり劇団の“同期”という関係性だったので、作品作りの中では率直に意見を言い合っていました。
例えば、今回演じた主人公・相田は、個人的には成長が足りない役どころだと感じていたんです。「他人は自分と違うように考えているということくらい、大学生にもなれば分かるんじゃないか?」という葛藤があって森平と話し合ったのですが、「自分はそうは思わない」「伝えたいテーマから外れる」などと返されて、「コノヤロー」と(笑)。
「色の街」に関しては、映画を撮るのが初めてで勉強不足だった部分もあり、技術スタッフとも「映画はこう撮るんですよ」「でも、このカットは通しで撮りたくて」と、ずっと意見交換をしていました。
――同作には早稲田大学などが舞台として出てきますが、ロケ地はどのような思いで決定されたんですか?
黒澤:まずは、早稲田演劇所属の身として、早稲田大学の正門は絶対に使いたいと思っていました。エキストラを配置して撮影しましたね。
冒頭の車内シーンは、乃木坂の都会的な景色にちょうど夕日が映えるような場所をこだわってセレクトしました。
――学生製作ということで、映画作りには難しい部分も多かったのでは?
黒澤:まずはとにかく予算が限られているんです。矢崎さんにも、本当に安いギャラでお受けいただいて、ありがたかったです…! 機材も、なんとピンマイクが用意できなくて。ガンマイクが3本借りられたのでそれで撮ったのですが、風の音やバイクの音が入ってセリフが聞こえないという、普通ならありえないトラブルもありました(笑)。
あとは作中に制服姿の警察官が出てくるのですが、完全にコスプレ感のある衣装になってしまいました。もともと地元の警察署で剣道を習っていたので、なじみのあるお巡りさんに、本物に近い制服を使わせてもらえないかとお願いしてみたところ、最初は「おう、ええよええよ!」って言ってくれてたんですけど、最終的に「ごめんダメだったわ、ちょっと本庁が…」と(笑)。
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