「魔法の絨毯」で話題に!新曲「Answer」が配信中の川崎鷹也インタビュー!「聴いてくれる人に寄り添えるような曲を、これからも書いていきたい」

2021/03/31 11:50 配信

音楽

撮影中、ギターをつま弾く川崎鷹也撮影=二瓶彩

辞めるという選択というより、辞められなかったんです


――――本格的に音楽に取り組んだのはいつごろなのでしょうか?

「専門学校で作詞・作曲の授業があったんです。楽器がないと曲が作れないなと思って、初めてギターを買いました。 それこそ周りは昔から楽器をやっていてバンドを組んでいたり、すでにオリジナル曲を持ってますって人ばかり。そのときに、この世界で生きていくのは無理かもしれない、と思いましたね。初めてライブをしたんですが、僕はカバー曲だったのに、対バンのコたちが同じ18歳で5曲ともオリジナル曲でめちゃくちゃうまかったのを覚えています。同じ年でこんなコたちがいるんだっていうのがすごく悔しくて。周りが普通に楽器を弾いてオリジナル曲を歌ってる中で、自分はギターの入門書を買って、Fコードが押さえられなくて苦戦しているわけですから(笑)。そこからプライドも何もかも捨てて練習に励む2年間が始まりました。天才じゃないんですよ。だからやるしかなくて。音楽スタジオのアルバイトは暇だったので、ずっとギターを弾いて、夜11時に閉店したら朝までスタジオを勝手に使って練習して、朝はそのまま学校に行くっていう生活をずっとしていました」

――――学校卒業後、努力が報われない日々が続いたそうですが、その間も音楽を諦めなった理由やモチベーションはどのようなものだったのでしょうか?

「表現する場所がライブしかないので、お客さんが1人、2人、3人と来てくれて、一緒に口ずさんだり泣いたりしてくれる瞬間をステージから見たときには、続けて良かったと思っていました。でもライブとライブの間は地獄のような日々を送っていましたよ。何で僕はいろんな人に聴いてもらえないんだろうとか、見つけてもらえないんだろう、何で音楽番組に出られないんだろうとか、出てる人と何が違うんだろうとか、とにかくやさぐれてましたね(笑)。
何度もやめようと思ったし、地元の栃木に帰ろうと思いました。でも、栃木から東京に出てくるって、今でこそ新幹線で1時間半ですけど、当時の僕にとっては相当覚悟のいることだったんですよ。親に勇気を出して伝えて、周りの友達にも行って東京に出てきてしまった。田舎って、東京に行く奴をとにかく称えるんですよ、頑張って来いって。だから、このままでは帰れないって思っていました。辞めるという選択というより、辞められなかったんです。
 物事って始める勇気よりも辞める勇気の方が大きいと思うんですよね。仕事でもそうですが、入るときは前向きに頑張って希望を持って始めるじゃないですか。それを、自らの意思で辞めるわけですから。地元に帰ったり、音楽を辞める奴を見てきましたが、辞めるってすごいことだと思います。僕にはその辞める勇気がなかったんです」

――――そんな時代を経て、今では多くの人に楽曲が届いていますね。
「楽曲では、僕が感じていることや、動いた感情によってどう思ったかを歌詞に落とし込んでいます。こだわりというか、僕が不器用なのでそんな書き方しかできないんですけど。いろんな人が楽曲に寄り添ってくれるのは、そういうところにつながっているのかなと思います。僕が今まで歩んできた人生だったり、奥さんと話して感じたことを歌詞に起こしたら「『魔法の絨毯』の歌詞がいい」と言ってもらえた。それって、その歌詞だけじゃなくて、僕の人間性も認めてもらったような気がしてとてもうれしいんですよね。何気ない日々や、毎日の中に見落としてしまうような幸せがある。聴いてくれる人に寄り添えるような曲を、これからも書いていきたいですね」

――――難しい言葉を使うことなく、ストレートな歌詞が人の心に刺さるのかもしれないですね。

「僕に芸がないっていうのもあると思うんですけど(笑)。5年、10年と聴き続けられる曲を書きたいんです。尾崎豊さんや玉置浩二さんなど、20年後も誰かがカラオケで歌っている曲を書きたいので、流行りのものや単語は使わないようにしています。子供が生まれてからは、子供が20歳になったときに『この曲ダサい』って言われたくないなと。いつ聴いても『これ父ちゃんの曲だよ』と胸を張って言えるような曲を書こうって思っています」

取材・文=横前さやか

関連人物