「24時間“木村拓哉”」憧れる存在であり続けようと覚悟を決めた
木村拓哉はおそらくそんな思いに誰よりも自覚的だ。だからこそ「24時間“木村拓哉”なんですよ」(「ダ・ヴィンチ」2017年4月号)と常に木村拓哉であり続けようとするのだ。
「男にはふたとおりあるのだ。自分以外の誰かに憧れる男と、自分自身に憧れる男と。木村拓哉はおそらく後者なのだ」(「ザテレビジョン」1997年4月18日号)と杉作J太郎が評するように、木村拓哉はおそらく「木村拓哉」に憧れている。言い換えれば、自分自身が憧れる存在であり続けようと覚悟を決めた男である。そのカッコイイの価値観は揺るぎない。
「大人のヒーロー」は自分自身がまず一歩前に行く
「自分自身に憧れる、というのはナルシストのようであって実は正反対である。自分が憧れてしかるべき男に、自分自身がまずなろうとする…。自分が憧れて悔いのない人間になるべく、自分自身がまず一歩前に行く。だから自分で自分を谷底に叩き落とすことだってある」(同前)と杉作は続ける。だから木村には「大人の男(ヒーロー)たちと同じ匂いがする」と。
「教場」での木村拓哉はまさに「大人のヒーロー」だった。誰よりもその手本になる存在でいるために、常に「緊張」感が漂っていた。自分にも周囲にも「緊張」を強いる。その「緊張」こそが、木村拓哉を木村拓哉たらしめているのだ。
文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」
※『月刊ザテレビジョン』2021年3月号