いろんな葛藤を抱えて泥道を歩いてきたからこそ、分かったこともある
――中村さんはよくインタビューなどで「20代前半はこじらせていた」と話されていますが、それがよく分かるのが「種と鎖」(2018年12月号)ですね。
実際のこじらせ方はあんなものではなかったですけどね(笑)。
――「隙がない」と言われるのに対し、「隙は見せるものではなく、見抜くもの」という返答など、正論でありながらもこじらせている感じが面白かったです。
今となっては、皆さんから「穏やかそう」とか「優しそう」と言っていただけていますが、“中村倫也”ってそんなにいいもんじゃないんですよ(笑)。もちろん、そう言っていただけるのはうれしいですが、20代前半にいろんな葛藤を抱えて泥道を歩いてきたからこそ、分かったこともあるのかなと。だからこそ、「太陽になりたかった男」の回(2019年12月号)でも書いているように優しい人に憧れますし、自分もそうなりたいですね。
――逆に、「呼吸」(2019.6月号)、「めぐる」(2020.7月号)では、「男」「僕」という一人称の違いはあれども小説的な書き方をされていますね。
「呼吸」は、あれを書く直前に平野啓一郎さんの小説を読んでいたこともあって、それに影響を受けたのかな(笑)。
――ただ、「呼吸」は「ああ、息継ぎがしたい」という言葉から始まります。この回の連載の掲載時期は俳優業がものすごく多忙だったと思うので、それと重なるのではないかと思いました。
確かにあの時期は忙しくて、軽く自律神経をやっちゃっていた感じがありましたね(笑)。だからこそ、「男」という一人称でワンクッションを置くことで、別人格の目線で話を進めた方が自分的に書やすかったんだと思います。かつ、読んでくださる方からしても、そのほうが重くならないのではないかと思ったので、あの書き方にしました。それはコロナ禍のことを書いた「めぐる」に関しても同じですね。