1990年代の日本の音楽シーンにその名を刻んだ孤高のバンド、フィッシュマンズの軌跡をたどったドキュメンタリー「映画:フィッシュマンズ」が、7月9日(金)より公開される。近年海外からも絶賛の声が相次いでいる『98.12.28男達の別れ』など数々の作品を生み出し、今日に至るまで後進のアーティストたちに多大な影響を与えてきたフィッシュマンズ。本作では、これまで語られることのなかったバンドの歴史を、膨大な過去映像とメンバーや関係者のインタビューを通して紡いでいく。
今回、バンド結成時から現在までのすべてを知る唯一のオリジナルメンバー・茂木欣一にインタビューを敢行。後編となる今回は、実質的なラストライブとなった「男たちの別れ」前後に抱えていた思いや、映画ではあまり語られることのなかった2000年代以降の活動について語ってもらった。
茂木欣一から見た“伝説のライブ”の光景
――終盤の展開は、バンドの物語を知っている立場からすると非常に切なく、苦しくなるような思いもありました。そんな中で、皆さんの視点から語られる(1998年12月28日開催のライブ)「男たちの別れ」にまつわるエピソードは、音源を聞いただけではわからないさまざまな思いが渦巻いていた印象を受けました。茂木さんはあのライブの前後、どのような心持ちでしたか?
茂木欣一:やっぱり (柏原)譲のことをバンドに誘ったのは僕だったし、出会ったばかりの大学生の頃も思い出したし…。でも本当に、「12月28日が譲と思いきり大きな音を出して奏で合える最後の日だ」ってことは心に持ちながらツアーをしていたのをすごくよく覚えていて。
だから一回一回のライブの時間がものすごく大事だったというか。とにかく譲と一緒に奏でられる間は、丁寧に丁寧に演奏したいなと思っていましたね。
12月28日は、「あんなに一音一音に集中した日ってあったかな?」っていうくらいで。今でも思い出しますけど、キックを一つ踏むのにも、スネア一つ叩くのにも、すごく神経を集中させてました。自分の背中側のモニタースピーカーからは、譲の指の動きがわかるくらいきれいな音でベースの音が返ってきていて…。
それこそ『空中キャンプ』のジャケットじゃないですけど、地面から少し浮き上がるような感じというか、そういう気持ちでひたすら演奏に没頭していましたね。98年のあの時期というのはそんな時間でした。
「サトちゃんは“本物の芸術家”っていう感じがします」
――柏原譲さんは「音楽やってるときは音の鬼みたい」、小嶋謙介さんは「変わり者」、HAKASE-SUNは「尊敬する人であり最大の敵みたいな人」と、ご自身の言葉で「佐藤伸治という人」を一言で表していましたが、茂木さんにとって佐藤伸治さんはどのような方でしょうか。
茂木:これは一言で言うとなると難しいですね(笑)。でも僕は、「本物の芸術家」っていう感じがしますけどね。そうじゃなければ、今もこうしてフィッシュマンズの音楽を鳴らそうとはしていないと思うんです。とにかくこの音楽は、世代を超えてたくさんの人に聞き継がれるべきものなんじゃないかという気持ちで、「伝え続けたい」という思いでいっぱいですね。
小嶋さんが言っているように、佐藤くんが曲作りをしている姿って誰も見たことがなくて。もちろん部屋でアコースティックギターを手に一人でやってると思うんですけど、そこは誰も見たことが無いんです。きっと(サウンドを)デッサンをして、言葉も選りすぐって…という作業を、一曲に対して丁寧に丁寧に繰り返していたと思うんですよね。
アルバム『LONG SEASON』がリリースされた当時のインタビューでも、僕は「『LONG SEASON』に値段は付いているけど、絵を買うように、言い値で買ってもらいたいくらい」なんて言っていたんですけど、あのアルバムは本当に1枚の絵を見ているような感じになったというか。
7月9日(金)より、新宿バルト9、渋谷シネクイントほかにて全国順次公開
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■「映画:フィッシュマンズ」30秒予告