――そんなサトミツさんですが、中学に進学されてからはいかがでしたか。
中学1年のときにラジオ聴き始めて、そこがようやく僕の救いになりました。ラジオ聴いてる時間だけが本当に楽しかったんですよ。その瞬間だけがあるということで、僕の人生がだいぶ方向転換されて救われたなとほんと思います。
――当時、よく聴いていたラジオ番組はなんでしたか。
「伊集院光のOh!デカナイト」がもう完全な僕の生活の支えでした。あとは「オールナイトニッポン」の1部と2部を聴いて、ほとんど寝ないで学校に行ってました。当時の「オールナイトニッポン」は、福山(雅治)さんや中居(正広)さん、松村(邦洋)さんなどがやってたかな…ウンナンさんやユーミンさんもですね。「オールナイトニッポン」以外にも、観月ありささんや内田有紀さんとか。ニッポン放送が中心だったと思います。
――ラジオにハマった理由は何だったのでしょうか。
ラジオはこんな自分でも許容してくれそうだな、という実感があったのだと思います。1人で楽しんでいいんだと思える時間だったんですよね。それが良かったんです。カセットテープに録音して、学校に秘密でウォークマンを持って行って、登校下校、休み時間とかにもばれないように聴いてましたね。どうやら僕の好きなラジオという媒体はお笑い芸人さんが話している番組が多そうだということになり、漫才やコントなどのお笑いを見るようになりました。
――ラジオからお笑いという世界に初めて触れたんですね。
そうですね。漫才とかコントを知って、夜中のネタ番組を見たりとかしていました。高校生になってから、お笑いライブを見に行くようになって。それでお笑いのネタを最初に書いたのが高2かな。自分はサッカー部だったんですけど、ラグビー部のキャプテンの友達にお願いして、ネタを見よう見まねで書いてみるということに挑戦して、最初に文化祭でやりました。
高校の文化祭でネタ披露も「素直に喜べなかった」
――暗い人間が高校の文化祭でネタを披露したのはすごいですね。実際にネタを披露して、他の生徒の反応はどうでしたか。
わりと意図したところで笑いがきたなと思いました。ただ、一緒にやってもらった彼が学校内で有名人だったので、学校ではウケちゃうじゃないですか。
――たしかに学生時代だと、特に内輪な関係性で左右されるでしょうしね。
だからウケすぎたなと思って、素直に喜べなかったですね。自分はお笑いライブも見ていて、厳しい状況で芸人さんがやってるのも知っていたので、こんなわけないと(笑)。僕が見ていたシアターDとか渋谷公園通り劇場よりも、お客さんが軽かったですね(笑)。
――それはそうですよ(笑)。でも素直に喜んでも良いところにもかかわらず、すごく状況を分析されていますね。
寂しい高校生ですよね(笑)。本来はもうちょっと勘違いしてもいいはずですよね。学生時代から、あらゆることに対してセンスがないというところを実感しすぎていて、勘違いできないんですよね。
――そこから、仕事として芸人の道を選ぶことを意識されたんですか。
勉強もできるタイプじゃなかったので大学には行けなそうだなと。夢を追うという意味合いでは「お笑い芸人」という選択肢は、高3になったときに1回考えたことはあったはあったんです。自分の興味を持っているジャンルが、ラジオとお笑い以外にまったくなくて。音楽も好きだったんですけど、音楽やるような技術もないですし。だから幻想ではあるんですけど、消去法で考えると、芸人さんになってラジオにかかわるとか単独ライブをやっていく人生は楽しそうだなと思いつつ、食べていくのは大変だよな…とか考えつつ。
ただ、贔屓目に考えても自分にそういう素養がない自覚もある。親にも学校の先生にも反対されたので、まあそうなるととりあえずはモラトリアム的に大学に行くしかなかったんですよね。猶予が欲しかったんです。波風は立てたくないので、みんなの反対を押し切ってまでお笑いやろうとは思えなかったですね、高校生の時は。