――それで大学進学されたんですね。
大学のときも、大学でできた友達と、高校時代のようにネタを書いて友達の前で披露したりしてました。あとは当時、素人で出れるライブがいくつかあったので、それに出たりしてましたね。
――手ごたえはいかがでしたか。
素人が披露するぶんには及第点というか、「まあこんなもんでしょ」っていうレベルではあったと思いますね。大学生が作るネタとしてはまあまあいいけど、プロにはなれないっていうぐらいのレベルだったと思います。もっとこの時点で勘違いしてたほうが楽しいに決まってますよね。やけに冷静でなんだかなと、自分でも思います。自分でも「プロはこんなもんじゃない」ってちゃんと分かっていたというか…。大学入ってからは、ライブ見る頻度は高校以上に多くなりましたし。
――当時行っていたライブで、印象に残っている芸人さんはいますか。
単独ライブに行ってたのはフォークダンスDE成子坂さん、バナナマンさん、ラーメンズさん、ですかね。あとはふかわりょうさんが、ものすごく好きでした。
――就職するなど色々な選択肢があったかと思いますが、大学卒業後に芸人の道に進まれた理由をお聞かせください。
4年間過ごしていく中で、みんながもっているような興味や趣味、特技や才能、あらゆるものが欠如しているなと改めて思いました。「凡人オブ凡人」みたいな(笑)。夢中になれるものがほとんどなく、ラジオやお笑い、サッカーとかすごい狭い範囲のものしか好きになれないんですよ。
だから職業を選ぶというのは地獄だったですよね。「なんにもないじゃん」って。才能が無いって色々諦める言い訳で使われがちだと思うんですが、どう考えてもないこともあるなと思ってました。諦め癖がついてしまっているというか。悲しい話ですが。
――なるほど。
ある種、小2で絶望した瞬間から誰かに迷惑をかけることはやめようと思って生きてきました。小学校から大学まで親や学校の言うことはめちゃくちゃ真面目に聞いて課題も全部出す、「勉強はできない優等生」という生き方で。大学の学園祭では、真面目なので核兵器についての研究発表を屋内でやったんですよ。3日間で来場者2人しか来なくて、ずっとなにやってるんだろうなって(笑)。大学生たるもの、テニスサークルでチャラチャラしておそろいのパーカー着て焼きそば焼くのは違うって思ってたんですけど、今考えたら絶対そっちの方がいいだろって思いますよね(笑)。
――たしかにそうですよね(笑)。
話を戻すと、みんな就職活動してましたけど、僕は特技もないし、秀でているものもないし、興味もなかったんですよ。でも、自殺しちゃうのも嫌だしなと。となると、ほんとに消去法の消去法なんですが、僕を救ってくれたラジオにたどり着くという線とずっと見てきたお笑いをやるという線はすごく近いので、「お笑い芸人を目指しながらラジオに関わるお仕事を目指す」というぐらいしか生きるモチベーションがなさそうだなって思ったんです。公務員も勉強できないから無理だし、地元の企業入ってもガッツがないからすぐやめそうだなとか、全部の選択肢を削って削って、まずは芸人という道を選びました。
――消去法だったんですね(笑)。とはいえ、お笑い芸人の道もすごく大変そうだなと思います。
でも数年間芸人として食べられないということは、認められないってことじゃないですか。認められないっていうことは、才能がなくてもやってもいいと逆に考えたんですよ。ようは、お笑いに対する努力をして良い時間が何年かあるというか、許容してもらえる気がしたんですよね。
【佐藤満春ひと言コメント】
誰がこれで夢と希望を持って楽しい気持ちになれるのかは果たして疑問ではありますが、これが僕の現実です。泥のような現実の続きは…また次回。