ただ1人、幸せな夢を見なかった杏寿郎
無限列車内で炭治郎、善逸、伊之助とともに魘夢の夢に囚われたとき、杏寿郎はただ1人、幸せな夢を見ない。杏寿郎の夢は夢でありながら、父に罵倒される過去のさびしい現実の記憶であった。炭治郎が家族との平穏な日常を夢見たように、魘夢が見せた夢は相手が望む幸せな世界のはずだ。
ではなぜ、杏寿郎は幸せな夢を見なかったのか? それは見なかったのではなく、“見られなかった”からなのかもしれない。あのとき、家を離れてしまった自分への後悔しかない炭治郎と違い、杏寿郎は母の死を“人の生”として受け止めている。これはその後に現れる猗窩座との対峙から分かることだ。
「老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ」
人間の老いをさげすみ、不死の鬼になれと誘う猗窩座に対して、杏寿郎はこうはね付けている。母の死は悲しいものであったが、生を全うしたものだ。あのときに託された使命があり、今の自分がいる。致命傷を負った死の淵で脳裏に蘇るのも、先の母の言葉であった。もし母が生きていたら…。そんなありもしない夢想で母の死を否定し、あの日の約束、今日まで進んできた道をなかったことにすることを無意識に拒んだ結果が、あの夢だったのではないだろうか。