テレビは「若い人に任せた! あとはよろしく!!」
――そんな人気番組に成長していった「電波少年」が長寿番組になったきっかけは、放送から4年後にスタートした“ユーラシア横断ヒッチハイク”。当時、無名だった有吉弘行が組んでいた猿岩石が一気に人気者になりました。
「当時は番組が有名になってきて、昔のように怒られることが減ってきてたんですよ。そこで次の一手をと考えたのが“ヒッチハイク”でした。当時のバラエティーは、番組を立ち上げるとき、とんねるずやダウンタウン、ウッチャンナンチャンといったスターをまずキャスティングするところから始まるのが基本でした。企画とスターの掛け算で番組ができていた。でも、企画さえ面白ければ、知名度ゼロでもできると思ったんですよ。スターがテレビをつくるのではなく、テレビがスターをつくれるんじゃないかと。
最終的には“アポなし”よりも人気が出て、今の『(世界の果てまで)イッテQ!』(日本テレビ系)のイモトアヤコのような、番組発のスターが生まれる基礎になったのかもしれないですね。でもこれって、実は欽ちゃん(萩本欽一)がやっていた手法で。オーディションをして、この番組でしか見られないスターを作り上げて、視聴率30%の番組を作っていたんですから。以前、僕が欽ちゃんとご一緒した番組は低視聴率で5回で終わっちゃいましたけど、とてもためになるヒントをいただけたと思っていて。繰り返しになるけど、やっぱり経験ってムダではないんですよ(笑)」
――土屋さんは、これまでになかった新たな番組の“構造”を作られて、それは現在のバラエティー界にも多大な影響を与えていると思うのですが、そんな土屋さんからご覧になって、今後のテレビ業界はどうなっていくと思われますか?
「僕は、テレビは時代を映す鏡だと思うんですね。35歳で『電波少年』を始めて10年間走り続けたわけですけど、あの時期、自分は世の中のことをビビットに捉えることができていた。でも、今のテレビの視聴者は、もう僕たちのような世代が主流ではないのかな、と思っていて。去年ヒットした“逃げ恥”(「逃げるは恥だが役に立つ」'16年TBS系)というドラマを見ていても感じたんですけど、あれはやっぱり僕たちの恋愛観とは違いますから。そう考えると、視聴者に合った世代の作り手が、自分たちが面白いと感じる番組を作っていくべきなんだと思います。
昔から、ちょっと斬新な番組を作ると、『こんなものはテレビじゃない!』と言われがちなんですけど、これからもそう言われる番組を作り続けていくことがテレビマンの務めなんじゃないかな。テレビとは、破壊を繰り返して新しいモノを生んできたメディアなんです。今のテレビをぶっ壊す、そんな人が出てくると面白いと思いますね。そして僕はといえば、あくまでもモノ作りは続けていきたいので、テレビというジャンルではなく、VRのコンテンツを作ったり、違うところで勝負ができればいいかなと思ってます。テレビに関しては『若い人に任せた! あとはよろしく!!』と言いたいですね(笑)」