——それでもフリーになることを決断されたきっかけはなんだったのですか?
1年以上考え続けて、それでもフリーに挑戦してみたい気持ちは消えなかったので、決意しました。時間をかけて出した答えなので悔いもなかったですし、じっくり考え抜いてよかったなと思います。でも、不安は当然ありました。仕事がゼロになってしまう可能性もあるので。最終的には両親に「会社を辞めたら、翌日からは全くテレビに出られないかもしれないし、近所の人からも何か言われるかもしれないけど、それでもいい?」と聞いて、両親が「そんなこと気にしなくていい。ダメだったら大阪に戻ってくればいい」と言ってくれたので決断できましたね。
——それでも、フリーになって、一から仕事を開拓されるのは大変なことだと思います。
今、考えたら無謀だった気はしますね。局アナ時代から引き継いだ仕事は一つもなく、ゼロの状態だったので。もし、反対に私が知人に相談されたら「この番組は続けさせてもらえるようにお願いした方がいいよ」とアドバイスすると思いますが(笑)、当時の私の気持ちとしては、お世話になった読売テレビに、外に出てやってみたいと伝えるためには、保険をかけたりせずキッパリ辞めるのが筋だという思いが強くて。そうすることで、読売テレビの人たちも応援してくれるのではないかなと。
——実際、現在も読売テレビのお仕事をされていますよね。
ありがたいことに今でも仕事に呼んでいただけて、かわいがってくださる。辞めるとき、自分の気持ちを誠実に伝えてよかったなと本当に思います。宮根さんも「自分がお世話になった局を大事にしなさい」とおっしゃっていて。その言葉の意味がよく分かりました。今、読売テレビの仕事現場に行くと、すごくホッとします。みんな知ってる顔ですし、ホームに戻ってきたような感覚ですね。
——フリーの道を選択されてよかったと思われますか?
そうですね。どちらを選択していたとしても、楽しい人生になっていたんだろうなと思いますが、初めて東京で暮らしたり、新しい友人ができたり、私生活でも新たな挑戦ができたのでよかったなと。1度きりの人生ですから、面白いことをたくさん経験したいですよね。
——フリーアナウンサーと局アナで、大きな違いを感じたのはどんな部分ですか?
戻る場所がないというのは寂しさを感じました。局アナ時代は仕事が終わればアナウンス部に戻って、その日の仕事を振り返り、気になることは先輩に相談したり、一緒にビデオを見てもらって反省したり、そういう時間を過ごしてから帰宅していましたが、その時間が今はない。仕事が終わったらその場で終了なので、最初のうちは特に寂しかったですね。私は本当に一人でやっていくんだと改めて思いました。
——局アナの場合はニュース原稿を読んだり、台本に沿って番組を進行するのが基本的な役割だと思いますが、フリーになると仕事の幅も増えますよね。
番組にゲスト出演させていただいたり、コメンテーターやパネリストという立場のお仕事も初めての経験だったので、最初は戸惑いました。自分のことをこんなに長々話していいのだろうか、私に対して(視聴者の方は)そんなに興味あるかなぁ…と。ただ、基本おしゃべり好きなので、自分のことやプライベートを話すことには全く抵抗がないんです。むしろ、昔から「自分の話を聞いて聞いて!」というタイプ。小さい頃はよく、父や母、祖父母に話を聞いてもらっていました。
——川田さんはどんな番組に出られても自分の意見をしっかり発言されていて、知識や情報量の豊富さに驚きますし、場の空気を読んで発言するコメント力も秀逸だなと思います。
いやいや、知識は全然足りないです。今も自信がなくて。どうしても得意・不得意なジャンルはありますから。ただ、場の空気を読む力は、局アナ時代に先輩に叩き込まれたものかもしれないですね。「局アナはタレントではない」とずっと言われ続けてきたので。自分が前に出て「話を聞いて!」ではなく、常にその場の空気を感じ取り、会話に入れず困っている人、逆に話し過ぎな人を瞬時に把握して、調整する。それが局アナの役割だと教えられてきたので、今も自然とそうしているかもしれないです。
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