――撮影中、監督の想像を超えた“うれしい誤算”はありましたか?
「たくさんありましたよ。中でも印象的だったのは、ヒトミとアカコが、なすなかにしさん演じる先輩芸人の単独ライブにゲスト出演したシーン。先輩芸人がモメて舞台を降りちゃったから、彼女たちが穴埋めしなくちゃいけないんですけど、その漫才シーンは、予定していた尺よりも長くカメラを回したんですね。でも、2人はカメラが回っている間、ずっと漫才を続けてくれた。作品の中ではそんなに長く時間をかけるべきシーンではないし、台本にも漫才の一部分しか書かれていないんですけど、清水も松井も延々アドリブで漫才をやりきってくれて。エキストラでお客さんを入れていたから、それで余計に火がついたのかもしれません。客前でヘタはこけないぞ、という(笑)。ともあれ、あの漫才はDVDになったときに特典映像でノーカット版を入れたいな、と思うぐらい素晴らしかったです」
――ヒトミとアカコの普段の会話にも、すごくリアリティーを感じるんですが、やはりアドリブが多かったんでしょうか?
「映画版の後に撮ったドラマ版は、舞台劇のような感じというか、俳優たちにワンシチュエーションだけ与えて、後はアドリブも交えて自由に演じてもらったんです。でも映画版に関しては、アドリブはほとんどない。強いて挙げるとしたら、カラオケボックスでヒトミとアカコがケンカするシーンかな。あれは、現場で僕がせりふを書いて、清水と松井に渡しました」
――もともとの脚本にはなかった?
「脚本には、カラオケボックスの中で2人が何かモメている、とだけ書かれていて。せりふも2つ3つぐらいしかありませんでした。あの場面は、あえてそうしたんです。なぜかというと、ケンカのシーンできちんとせりふを決めておくと、みんな、流れるように滑舌もはっきりと、しかも前のせりふと被らないようにしゃべっちゃうんですよ。それはプロの俳優としては美点なんだけど、実際にケンカするときって、同じ言葉を繰り返したり、もっと雑然としたやりとりになるじゃないですか。しかも、このシーンは芸人同士がネタのことでモメているわけで、相当ヒートアップしているはずなんです。だから、その辺のリアルな感じを出すには、事前にせりふを決めておかない方がいいのかなと。
考えてみると、なるべく本当っぽく見せる、というのは今回の映画では常に意識していたような気がしますね。“ナマっぽさ”というのが最大のテーマだったかもしれません」
――確かにこの映画には、若手の芸人さんって普段はこんな感じなんだろうなという妙な生々しさがありました。
「もし僕が観客として、お笑い芸人が主人公の作品を見たときに、その芸人たちの日常のシーンがつまらなかったら、『どうせネタも面白くないんだろうな』って思ってしまう。だから、日常会話ひとつとっても面白い、という作品を目指しました。誰かと誰かがしゃべっているとき、その2人の間にマイクを立てたらそのまま漫才になってしまう、そんなシーンを散りばめたつもりなので、ぜひ楽しんでいただけたらと思います」
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