ーー今回、松田記者の姿を通して「取材する側」のあり方を考えさせられました。みなさんは普段「取材される側」ですが、本作に参加されたことでメディアへの意識の変化などはあったのでしょうか。
米倉:劇中に松田が国会中継を見ているシーンが登場しますが、実は本物の国会のとある映像を見ながら撮影していて、あとでその映像だけ別のものに差し替えているんです。そのシーンの撮影の時に、普段はお風呂に浸かりながらとか、何か作業をしながら国会中継を観ていたなと気付いて。本作に参加するまでは恥ずかしながら日本の政治への関心が薄かったので、国民としてもっと政治に参加しなければと思いました。それから、松田がSNSで誹謗中傷されるシーンがありますが、私自身も実際に嘘の記事を書かれて傷ついたこともありますし、報道の自由があるとはいえ“嘘の記事を書くなんて人としてどうなの?”と憤ることもあります。そんな現実がある中で、流星くんが演じた亮は私にとって希望というか、一人の人間として真実を追うこと、そして一般市民として何ができるのかというのはすごく考えさせられました。
横浜:米倉さんがおっしゃった通りで、僕らは役者である前にいち国民として日本社会に属していながらも、政治への関心が薄かったりします。僕も本作に参加する前までは前半の亮と同じような感じだったのですが、無関心ってすごく怖いことだなと今回実感しましたし、もっと興味を持たなきゃいけないなと思うようになりました。僕自身、亮と共に学んだので、本作をご覧になった方々が何かを考えるきっかけになったらいいなと思います。
綾野:つまり“何かに強く感心を持つこと”だと思うのですが、その関心のきっかけというのはまさにいまインタビューをしていただいている時間もイコールだと思います。先ほどインタビュアーさんは自分を「取材をする側」、そして僕達を「取材される側」という風に定義づけてくださいましたが、実は僕は取材されながら取材をしている状態なんです。こうやって顔を付き合わせて話をすること自体が関心に繋がっていると、そんな風に僕は思っていて。関心を持つきっかけはどこにあるのか、興味を惹かれたきっかけはどこにあるのか、それをどんどん辿っていき、それを大きな意味で捉えると“国は国民が作るもの”という想いに繋がっていくのではないかなと。そういったことを本作は描いていますので、何かひとつ興味を持つきっかけになったらと思います。
取材・文=奥村百恵
Netflixシリーズ「新聞記者」は、22年1月13日より全世界同時独占配信中。
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