粗品、かまいたち、野田クリスタルが「M-1」に思うこと
後半は「漫才における画期的な出来事」として「M-1グランプリ」を取り上げた。
「M-1グランプリ」は、漫才の技術を格段に向上させた。だが粗品は「M-1は漫才を進化させすぎた」と話す。「M-1」のせいで、普通なら面白いやりとりも笑えなくなった。新たなシステムを盛り込んで、「お客さんの脳みそをいかにハックするか」を追求してきた。
一方、そうした「システム」から離れたコンビもいる。型を模索していたかまいたちは、人間味を出したしゃべくりに転向することで勝機をつかんだ。後藤は「M-1」の打上げで島田紳助から聞いた「ネタうんぬんより人そのものが面白くないとダメ」という言葉を振り返る。
システムか、人間味か。それらをすべて吹き飛ばすのが、野田クリスタルの証言だ。漫才には文化がある。文化があるゆえに、ルールがあるように見える。ルールを壊せば、そこに未開の地が広がるはず。「ワクワクしますね。まだまだここから、マヂカルラブリーなんか比じゃないくらい変な漫才出てきますよ」と予言する。
では、なにもかもぶち壊した漫才がいいのか。スタジオでは劇団ひとりが「壊すために壊すのは違う」と語る。
「自分がただ自然に面白いものをやろうとした結果、“壊れてた”というのが正解だと思っていて。それはたぶん、ダウンタウンさんもツービートも絶対そうだったと思うんですね。壊そうと思ってるんじゃなくて、これを追求していったらそうなっちゃうスタイル」
それぞれの漫才論が呼応して、多面体として輝く。38分では全然足りない。VTRでも、スタジオでも、放送に乗らなかった言葉たちを知りたい。メンバーを変えれば、また新たな証言が生まれるだろう。「笑いの正体」は語り手の数だけ存在し、だからこそ深い。
文=井上マサキ