初期のチャレンジ
チャレンジその1「自然にまかせる。そうすれば時間と共に親を許せるだろう」
わたしは、環境が変われば親に感謝できるようになるものだと思っていました。感謝できるということは、嫌いという気持ちはもちろん薄れるものだろうと。
26歳の時、愛知県から上京しました。親元から離れ、彼氏と貧乏二人暮らし。初めての家事。焼きそばくらいしか作れませんでした。親のありがたみが身に染みるかと想像していましたが、いや、ありがたみどころか、せいせいした自分がいました。
次に来た、ありがたみがわかるかもチャンスは、わたしが親になった34歳の時。自分が親になれば、さすがに親のありがたみがわかるだろう。「ああ、こんなに大変な思いをして産んでくれたのねと思うものよ〜」と、たしかに世間から流れてくる情報はそう教えてくれていたはずでした。
わたしは大いに期待しました。きっと自然と出てくるはず、「お母さん、産んでくれて、ありがとう」。
しかし、あては外れました。大外れ。自分でもびっくり。産まれたばかりの娘を抱いている母親を見たとき体の奥から出てきた感情は、「わたしの大事なものに触らないで」というものでした。
なんでこんな思いが出てきたのか。いよいよ、わたしは人間失格。多分一生、母との和解は難しいに違いない、とガッカリしたものです。そして、自分の中にある憎しみの根深さに自分で驚いたことを覚えています。
チャレンジその2「わたしは辛かった!今だって辛い!と大声で言ってみた」
そういえば、わたしはいつだって、我慢していました。固定観念を押し付けられたことも、褒められず自信を持てない自分になったことも、世間体を一番に考えなさいと言われたのに離婚した母親のことも、母よりも女にみえたことも。いつだっていつだって、本当のことは言わずに我慢して、ただ不機嫌な顔をして母に関わっていました。
わたしが38歳の頃でしょうか。母に、今までの不満をぶち撒けてみたらどうだろうか、と考えました。本当のことを言ってみたらスッキリするかもしれない、そして、謝ってくるに違いない。わたしは、そう考えたのです。
ある日、実家へ行き突然わたしは母に言いました。
「昔、こうだったじゃない!」
「こう言ってほしくなかった!」
母から返ってきたのは、「そんなことは言ってません!」という答えでした。
記憶にございません、と政治家ではなく母からも聞くことになろうとは。しかも本当に記憶にないようで。本心をぶちまけて、ラクになるのかと思ったら、それもどうも違ったようです。スッキリしたのは一瞬。なんだか重たく後悔が一つのしかかったような気分でした。
距離を置くチャレンジもやってみた
チャレンジその3「ほどよい距離感で。離れたままで、心はさようなら」
このチャレンジは、りんりんさんの「離れたままで終わりにしましょう」に近かったのかもしれません。
親ではあるが近づかず、必要がなければ連絡をせず。そんな時期がありました。その時は、このままでいいのだ、このままがお互いの為にいいのだ、と思っていました。
ですが、何か、どこかで、気になるんです。忘れようと思って、忘れられるものではないんですよね。
チャレンジその4「同じような境遇の人たちに愚痴りながら、親の悪口言いながら、お酒を飲んで忘れよう!」
これはチャレンジというか、ただの飲み会ですが(笑)。親の悪口を聞いてくださる友人がいて、大変だったねと同情してくださる友人がいて、それはそれは助けていただきました。
でも、翌日また同じような過去のムカムカが、出てくるのです。昨日あれだけ出したはずなのに、全く少なくなっていないことに気づくのです。溜まっているものを吐き出すことで本当に楽になっているの?と自身の心の奥に問うと、いいえ本当は楽にはなっていないですよね、と返ってきました。
青木さやか
1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティ番組でブレイク。2007年に結婚、2010年に出産。2012年に離婚。現在はバラエティ番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍中。
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