仮面ライダーは、どこか“異形”の存在であるべきなんでしょうね
──そんな中、自分はプロデューサーだと初めて自覚できたのは、いつごろですか。
「入社半年くらいで『真・仮面ライダー 序章』('92年東映ビデオ)という、仮面ライダー20周年のビデオ作品に携わることになって。これが初仕事で、上司の吉川進(当時・テレビ第二営業部長)に連れられて、原作者の石ノ森章太郎先生にごあいさつにうかがったんです。そのとき、石ノ森先生の企画書を読んで『これはおかしいです』とダメ出ししちゃったんですよ。仮面ライダーの生みの親に向かって、『そもそも仮面ライダーとは…』って、初対面の若造が(笑)。すると先生から『君の思うようにやりなさい』とお墨付きをいただいて。こっちはもう天下を取ったみたいな気分で、『俺もこれでプロデューサーだ!』と思ったんですが…、それは全くの勘違いでね(笑)。石ノ森先生は、僕のことを認めたんじゃなく、『仮面ライダー』を見て育ってきた若い世代の意見も聞いておこう、と思われただけなんですよ、今にして思えば。そして実際、出来上がった作品は自分の中では悔いが残るものになってしまって…。やっぱり理屈では作品は作れないんだなということを痛感しました」
──その後、“平成ライダー”シリーズをプロデュースし、「仮面ライダー」と深く関わっていくことになりますが。
「今話したような恥ずかしい経験があるので、『仮面ライダー』を作るときは疎かにできないし、死ぬ気でやらないと石ノ森先生に申し訳が立たない。それは本当に覚悟を持って臨んでいます」
――それはつまり、石ノ森章太郎先生の遺志を継ぐ、ということですか?
「もちろん、その表現は間違いではないんですが、もう少し正確に言うと、石ノ森先生の世界観を尊重しながらも、そこに固執せず、かつ自分の独りよがりでもない…要は“普遍的な価値”を持った仮面ライダーを作る、ということですね。仮面ライダーは歴代いろんな作品がありますが、一つ言えるのは、作り手個人の“僕が考えた仮面ライダー”になっちゃいけないんです。その意味では、『真・仮面ライダー 序章』は、“白倉伸一郎が考えた仮面ライダー”だったんですよね」
──白倉さんは、近年の「仮面ライダー」シリーズを、どんな風にご覧になっているのでしょうか?
「東映には、仮面ライダーと双璧をなす“スーパー戦隊”というシリーズがあって。変身ポーズが決まっているとか、必殺技をコールしながら攻撃するとか、そういう、かつて仮面ライダーで展開していたような“お約束”の要素を全て受け継いで、現在まで連綿と続いている。ですから今のライダーは、スーパー戦隊と対照的に、お約束は極力排除しなくちゃいけないわけです。今のスーパー戦隊は、“お約束”の様式美みたいなものが世に受け入れられていて、作り方のノウハウは出来上がっている。ところが平成ライダーでは、まだそのノウハウが確立できてないんです。『これぞ平成ライダー!』という“お約束”がない分、シリーズごとに違う世界観でやるしかないところはありますね」
──でもだからこそ、作品ごとに新鮮な驚きがありますよね。ライダーのデザインも毎回斬新で。どんなに奇抜なデザインでも、放送が始まって何話か見ていくうちに、かっこよく見えてくる、という(笑)。
「だんだん分かってきたのが、仮面ライダーに関しては、パッと見た瞬間に全員が『かっこいい!』と思うようなデザインはよくない。つまり、ヒットしない(笑)。むしろ変テコな方がいいんです。そう考えると、最初の仮面ライダー1号・2号だって、バッタがモチーフじゃないですか。子供に好きなもののアンケートをとってもバッタが上位に来ることなんて、当時だってなかったと思うんです(笑)。そういう、あさっての方向から弾が飛んでくるものの方が、子供たちの想像も広がる。やはり仮面ライダーは、どこか“異形”の存在であるべきなんでしょうね」