スキー荻原次晴「なんで双子に産んだ!」母泣かせた 五輪金メダルの兄持つ“地獄”語る
6月11日(日)放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)にスキー・ノルディック複合の荻原次晴が出演、「優秀な人と比べられた時に逃げ出さないための授業」を展開、優秀な双子の兄を持った苦悩の人生を振り返った。
コツコツと真面目に努力する兄の健司と対照的に、器用だけどすぐに飽きて続かない次晴。子どもの頃から次晴のほうがスポーツや遊びでも勝っていたため、中学3年生で出場した大会で、優勝・健司、2位・次晴の結果になっても悔しさは感じずに「俺はまだ本気だしてないだけ……」と現実から逃げていたと回想。
その後、兄弟で早稲田大学に進学、スキー部に入部するが練習に励む健司をよそに、部活をさぼる次晴。
「スキーを諦めた僕は、本当にやりたい事ができたんです。ラッパー!テレビなどで一言も言ったことないです」と、ラッパー「MC TSUN」として活動していたことをメディアで初めて明かした。
1992年アルベールビル五輪で兄の健司が金メダルを獲得、本来なら家族として喜ばしい出来事なのに、次晴の地獄が始まった。
「健司と1万回間違えられ地獄」
当時は、健司に双子の弟がいるとは誰も知らなかったっため毎日、間違えられる日々が続いたとか。
「健司じゃない」と説明するのも面倒になり、健司のサインを書くようになっていたとか。自暴自棄になった次晴は母親に「なんで俺を双子に産んだんだよ!」と言って、母親を泣かせしまったという。
しかし、徐々に「自分も有名になって次晴の存在を知ってもらおう」とスキーを再開。
1994年リレハンメル五輪を目指して練習を始めるが出場を果たすことができなかったが、1998年の長野五輪では、見事代表入り、兄弟そろって、五輪出場を果たした。
健司・4位、次晴・6位
「地獄から這い上がってきた中で、五輪という最高の舞台で入賞できたことに満足してます」
とコメントする当時のVTRが流された。
「あの瞬間、引退を決めていました」さらに「試合直後に、人生で初めて双子で熱い握手を交わしました。その時、僕初めて、健司からスキーの競技者として認められたような気がした」と当時を振り返った。
自分がどうして長野オリンピックに出られたのか、それは一生懸命頑張ってきた健司の存在があったからだと気が付いたという。
「大事なおふくろに『なんで双子に産んだ』なんて言ってしまって……こんな愚かな俺ですみません、僕はバカでした……長野オリンピックの後に、健司に謝り……おくふろに謝りました」と涙を流した。
「『比べられる=期待されている』比べられている事を喜びに感じて本気を出してみよう!」と締めて、授業を終えた。
番組最後に、健司がVTRでサプライズ出演。
「誰よりも見てきた弟・次晴なので、本気を出せば五輪でも戦えると信じていた。人生最初で最後に一緒に戦えた五輪。(握手を交わしたのは)『入賞してよかった』よりも『俺たちここまでこれたよね』っていう気持ちの方が大きかった。双子で生まれて良かった。感謝します」とメッセージを送った。
次回は6月18日(日)夜9.58から放送予定。お天気キャスターの森田正光が出演。
毎週日曜夜9.58-11.05
テレビ朝日系ほかで放送