『ウマ娘 プリティーダービー』『アイカツスターズ!』『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』などの人気作品へ次々に出演し、芝居にステージに、幅広く活躍を繰り広げる声優・前田佳織里が、待望の自身名義での音楽活動をスタートする。3月15日にリリースされた1st EPのタイトルは、『未完成STAR』。初のアニメタイアップ担当楽曲を含む全4曲は、いずれも「表現者・前田佳織里」のパーソナリティを映し出した佳曲たちだ。音楽活動、そして『未完成STAR』にたどり着くまで、前田佳織里はどのように歩みを進めてきたのか――声優や音楽を志すことになったルーツから青春時代、そして現在に至るまでを語り尽くした超ロング・インタビュー、第2回は地元で過ごす子どもの頃に訪れた「転機」について語ってもらった。
――北九州出身で、お祭りが好きだったと話してくれましたが、地元ならではの音楽体験は何かあったんでしょうか。
前田:高校のときにガールズバンドをやっていて、そのときに地元でお祭りのステージやフェスみたいな場所に立たせていただく機会がありまして。北九州だけじゃなく、ももち浜(福岡市の海岸)にも野外ステージがあって、そこにみんなで行って何曲か披露したこともあります。そういうステージとか、夏の催しに参加できるのはすごく楽しかったです。地元で毎年開催されるバンドの大会があったんですけど、お客さんの投票で優勝、準優勝が決まるんです。ちゃんと予選もあって、本選もあって、そこに出て自分たちのオリジナル曲も披露しました。どうやったらお客さんの心をつかめるか、自分たちでいちから話し合って考えてました。曲だけじゃなく、ステージングの見せ方や曲順も作っていて、それは楽しい思い出です。
――少し話がさかのぼりますが、元気に走り回ってた小さい頃、大きくなったら何になりたいと思ってたんですか。
前田:いろいろあったなあ~。小学校低学年の頃は絵を描くのが大好きで、漫画家になりたいと思ってたんですよ。地元のスーパーの地下に漫画家セットみたいな画材を売ってるお店があって、母におねだりしてトーンを買ってもらって。でもトーンって高いので、上手くいかなくて失敗したのをもったいないから再利用してました(笑)。あとは、博物館の学芸員になりたいって思ってました。映画「ナイト ミュージアム」が好きで、化石を直す仕事をしてみたいなあって。地元に、「いのちのたび博物館」っていう博物館があって、そこが好きでよく行ってました。そういう地元の影響もあって、小学生のときはなりたいものが多かったです。
――音楽にまつわる夢は、当時はまだなかったんですか。
前田:そんなになかったかなあ。歌うことは、ずっと好きでしたけどね。小学校3年のときにブランコにハマった時期があって、乗りながら全力で歌うハイジみたいなことをやってました(笑)。同級生に歌が上手い子がいて、悔しくて「わたしも上手くなりたいなあ」って思ったことはあるけど、それくらいでしたね。歌うことに対しての夢は、当時はそんなに考えてなかったです。
――人前で何かすることは、子どもの頃から好きだったんですか。
前田:それは大好きでした(笑)。小学校のとき国語の授業で、たとえば題材にある「スイミー」を劇でやってみましょうってなったときに、「はいはいはい、わたし主役やる〜」みたいな感じでした。けっこう全力でやって褒められて、その褒められたことがまた嬉しくて。昔から、目立つことがすごく好きでした。
小学校のときから国語の成績は抜群によくて、6年生のときに宮沢賢治さんの「やまなし」っていう本について考察する発表会があったんです。その発表のときに、「前田さんの考察力と閃きは本当にすごいから、大切にしたほうがいいよ」って、国語の先生に言われて。本を読むのも好きだったし、物語を深く読み込むのも好きで、発表会とかがあると「はいはいはい!」みたいな(笑)。そういうお祭り精神は当時からありました。
――お祭り精神は、地元にお祭りがあったからというよりも、持って生まれたものなんでしょうね。
前田:そう、持って生まれたものだと思います。いつからこうなったんだろう(笑)。でも、父と母に聞くと、最初からそうだったらしいです。それこそまだ言葉がしゃべれなかったくらいの頃に、おじいちゃんにずっと赤ちゃん語で話してたんですって。「この子はよぉしゃべるねえ」「この子は将来弁護士になるかもしれんねえ」なんて言っていたらしくて。だから父には「弁が立つから、弁護士になれ。おまえは弁護士だ」って言われたこともありました。昔から言葉を話すとか歌うこと、人前に立って何かを読むとか、総じて国語的なことが好きだったんだと思います。
――なるほど。その気質もやはり、今につながってますよね。
前田:そうですね。学校の勉強も楽しんでやっていた部分もあって。まあ、数学とかはほんとに苦手でしたけど、今思うとのびのびと育ててもらえている環境だったと思います。アニメとかは、わたしがハマりすぎるので、禁止令が出されてた時期もありましたが(笑)。勉強をするときも、父が手作りでドリルを作ってくれたり、「今日は頑張ったね」って絵を描いてくれたり、そういう明るい環境で育ちました。
――子どもの頃、まわりの人を楽しませることは好きでしたか。
前田:だと思います。だから遊びの提案もすごくしてたし。でも、小さいときはいろいろと尖っていた部分があって(笑)。主張が強すぎて逆に上手くいかなかったこともいっぱいありますけど、今思うとまわりを楽しませることが好きな子だったなと思います。
――ハマりすぎるから禁止令が出たアニメについて、アニメ作品やアニメ音楽の原体験にはどういうものがあるんですか。
前田:やっぱり「美少女戦士セーラームーン」かな。あと「トムとジェリー」と「ゲゲゲの鬼太郎」も大好き。昔に放送されていたアニメを、お父さんとレンタルビデオ屋さんで全巻借りて、繰り返し見てましたね。妖怪が好きで、水木しげるさんの妖怪図鑑を買ってもらって、ずっと読んでいました(笑)。ただ、小学校3年くらいのときにアニメチャンネルにハマりすぎて、お風呂も入らずにずっと見てたんです。そのとき父に叱られて、いったん反省したんですが、またこっそり長い時間見てたら怒られました。懐かしい思い出です。
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