成功体験で仕事をしない。プロになったらおしまいだと思うんです
――「ごっつ」で披露されていたコントは、いまだにお笑いファンの間では高い評価を受けているんですが、あのコントは具体的にどのようにして生まれていたんでしょうか。
「まず作家さんたちが書いてきたコントの設定を、ADの僕が『どうですか?』と松本(人志)さんにプレゼンして、それを話の入り口に、松本さんがコントのアイデアをどんどんひねり出していく、という感じでした。だから、僕らが最初に用意する設定は“踏み台”ではあるんですけど、踏み台も踏み台なりにレベルが高くないといけない。それに、松本さんの話を聞く僕も、しっかりポイントを押さえておかなくちゃいけないわけで、あの時期、ADとして経験させてもらった仕事は、僕の中ではいまだに大きいですね。今でも松本さんと笑いについて話ができるのは、あのときのおかげだと思いますし。星野さんも、松本さんと話をするという経験を僕にさせて、育てようとしてくれていたんじゃないでしょうか。
その後、星野さんが番組を抜けることになり、誰がコントを撮るのかとなったときに、松本さんと浜田さんが『小松でいいんじゃないか』と推薦してくださったらしいんですよ。それでディレクターとなって、それ以降のコントは僕一人で撮りました。星野さんがいなくなってからは、松本さんからはクリエイティブな部分を教えていただき、浜田(雅功)さんからはスタッフのまとめ方をはじめ、人間としての薫陶を受けた…と僕は思っていて。ダウンタウンさんもまた、僕にとっては師匠のような存在です」
──その後、「笑う犬」シリーズではウッチャンナンチャンと一緒にコント番組を作られました。
「『ごっつ』で培ったスキルは当然生かされていたと思いますが、それはあくまでベーシックなところですね。松本さんと内村(光良)さんはタイプが違いますし、僕らスタッフも、コントを作るという作業は同じでも、クリエイティブな部分で切り替えないといけない。『ごっつ』では、人間が持つ愚かしさとか、誰もが子供のころに感じたザワザワした感覚とか、そういったものをみんなで呼び起こして作っていくという感じだったんですね。一方で『笑う犬』は、もう少し周りを観察して、日常生活の中の面白さをすくい取る、という感じ。自分のお父さんはこうだったとか、あるいは時事ネタとかも入れたりしながら作っていました」
――具体的な方法論は、時代や演者によって違うわけですね。
「そうですね。ただ、僕が一貫して筋を通していることがあるとすれば、“成功体験で仕事をしない”ということかな。それをやっちゃったらおしまいだと思うので。プロとしてのシビアさはもちろん必要ですけど、僕の中では、プロになったらおしまいだと思うところも正直あって。自分のやり方を決めて、その通りにやっていく仕事って、つまらなくなっていく一方ですから。やったことのないことを面白がってやる、だから乱暴なこともできる。そんなアマチュアリズムを大事にしています。
僕は今でも、学生時代に生まれて初めてTVでやる自作自演のコントのネタを思い付いて、『これは面白くなりそうだ』なんて考えながら、京都の長岡天神の駅から家までワクワクしながら歩いた、あのときの感覚を忘れちゃいけないと思っていて。そんなアマチュアリズムをもってすれば、そこそこジジイになってもやっていけるんじゃないかなって思ってるんですけど、どうなることやら(笑)」