筆者は、「ブギーマン」という言葉自体に関しては学生の頃からなじみがあった。ジョニ・ミッチェルというシンガーソングライターの楽曲に「ゴッド・マスト・ビー・ア・ブギーマン」(God Must Be a Boogie Man)というタイトルのものがあったからだ。神様はブギーマンに違いない、と子どものコーラス隊と共に歌っている。
だが「ブギーマン」が何を意味しているのかまで心に留めることはなかった。ブギウギを踊って気分はゴキゲンなんだろうな、ぐらいの想像で間に合わせていた。そこであらためて今回調べたところ、これがなかなかのクセモノであることを知った。
西洋の家庭では、例えば幼児がいたずらした時に、「そんなことをしたらブギーマンがさらいに来るよ」みたいなことを親が言うと、その幼児が一気におとなしくなったりすることもあるらしい。恐怖をもたらす謎の怪物なのだ。日本で言うと「なまはげ」みたいなものか、と一瞬思ったが、見栄えは怖いといってもあちらは厄落としの役割も持っている。が、ブギーマンには、そうした「プラス効果」はなさそうだ。
そのブギーマンが、どうしてわざわざ母を亡くして悲しみに暮れる一家の前に出たのか。ただでさえ落ち込んでいる一家の前に登場して、わざわざ恐怖に陥れるのは、いくらなんでも性格が悪過ぎじゃないか。だが、ストーリーが進むうちに、「この家族だからこそ、この心理状態だからこそ」のブギーマン出没であることが、じんわりと分かってくる。
一度目は恐怖し、二度目はディテールにこだわって視聴し、三度目は探偵のように俯瞰しながら物語の深度を確かめる…そんな見方をしても楽しめるのが「ブギーマン」という作品であるはずだ。
「僕らが持つ暗闇への恐怖、僕らが持つ見知らぬものへの恐怖。この映画の後、誰もブギーマンの映画を作ろうとは思わなくなるような、“これぞブギーマン”と定義するような、“恐怖”そのものを象徴するものを作ろうと思いました」と、サヴェッジ監督は語る。
確かにこの作品を見た後、夜に電気を消えた状態でキッチンに行ったり、暗闇の中を歩いたり、クローゼットを開けるのをためらうほどの恐怖を感じた。部屋に居ながらにして、恐怖への旅に出かけることができる作品であった。
「ブギーマン」は、ディズニープラスのスターで見放題独占配信中。
◆文=原田和典
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)