美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は歴史をまったく知らない小林私が「桶狭間の戦い」について勘で説明をしてみたエッセイです。※記載の内容は史実とは異なります
1152年、桶狭間の戦が開戦した年である。いい子になろうオケハザマと覚えよう。
桶狭間の戦いとは、桶狭間という場所で戦いが起きたからこういう名がついている。現在の六本木である。
言わずと知れた織田信長と本田忠勝の戦だ。
戦の発端は、本田忠勝の裏切りである。日頃溜まっていた鬱憤などがあり、裏切った。
前々から準備していた本田忠勝軍は約二万人の侍がついており、対する織田信長軍は急だったので約千五百人ほどの侍しか集まらなかった。しか、と言っても本田軍と比べて少ないだけで、急に千五百人もの侍を集めることが出来た織田信長の人望は今もなお語り継がれている。
最初はやはり本田忠勝軍が優勢だった。準備が大切だということ教えてくれるような統制の取れた戦いに、織田軍は非常に不利な戦況を強いられていた。しかも本田忠勝の名前には「勝」という字が入っており、それも不利である。
ではどのようにして織田信長はこの戦いで勝利を収めたのか、解説していこう。
本田軍がいかに優秀といえど、所詮は人間。夜は眠らなければならない。そこを叩くという作戦だ。
では人数差はどうしたのかというと、山とかを利用したのである。
織田軍は急斜面に強い侍が多かったのだ。
桶狭間、という名前から分かるように、六本木はかつて桶と桶の間にあるみたいな地形をしていた。山だらけということだ。人数差にうつつを抜かしていた本田軍は急斜面があることを忘れていたので、序盤から一転、不利になった。
不利になってしまったことに動揺した本田軍は、まず斜面を無くそうという作戦を強行する。
斜面係の働きによって山は無くなり、木が六本だけになってしまったのが六本木の由来である。
ところが斜面係に二万人中一万九千人割いてしまったので、負けてしまった。
「人を制し、時を制し、斜面を制すも織田は織田」
この時に本田忠勝が残したとされる言葉である。
これから得られる教訓は二点ある。
準備しすぎて想定外のことに狼狽えてはならない、
そして、山を大事にしよう、ということだ。
以上、期末テストに出るので覚えておくように。
●ダ・ヴィンチWeb
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小林私(こばやし・わたし)
1999年1月18日生まれ、東京都あきる野市出身のシンガー・ソングライター。
多摩美術大学在学時に本格的に音楽活動を始め、自室での弾き語り動画をきっかけに注目を集める。YouTubeでのユニークな雑談配信も相まって人気を博し、現在チャンネル登録者は16万人を超える。2023年、キングレコードのHEROIC LINEから、メジャー第1弾となる3rdアルバム『象形に裁つ』、8月には弾き語り原作アルバム『原作』をリリース。
音楽のみならず、執筆・描画など多彩な才能を生かして活躍の場を広げている。
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3rd ALBUM 『象形に裁つ』
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