――ここからは、改めて俳優人生としての始まりから振り返っていければと思います。樋口さんの芸能界入りのきっかけはスカウト。挑戦してみようと思ったのはどうしてだったのでしょうか?
高校サッカーの試合を見てくれたチームがプロ育成選手としてスカウトをしてくれたんです。高校卒業を機に上京しました。そこから1年間、育成選手として頑張っていたのですが、結局プロ契約までには至らなかったんです。
プロになれなかったのがショックですごく落ち込みました。今までサッカーしか打ち込んでこなかった人生だったので、ここから先、何をしてもいいか分からず、「これからどうしよう」とものすごく悩みました。
悩んだ末、このまま実家に戻ってやり直そうと思いました。最後に買い物してからと思って渋谷に出かけたんです。そのときなんです。芸能事務所から数社スカウトされて。まだ18歳だったのでびっくりしたと同時にうれしくなって。昔から目立つことが好きだし、芸能界ってキラキラした世界に見えてしまい、そんな単純なことがきっかけで芸能界にすごく憧れを持ち始めたんです。
せっかくスカウトしてくれたからには、挑戦してみたい! そう思って父親に相談しました。喜んでくれると思っていたのに、いきなり反対されてしまったんです。何度も話して、「同世代の人が大学を卒業するまでの4年間、22歳までにちゃんと仕事が決まるようになったらそのまま続ける。でも、それまでに決まらなかったら帰ってこい」と言われ、その約束を受け芸能界に入ることを許してもらえました。
芸能界に飛び込み4年間の間に、オーディションでスーパー戦隊の主演のレッド(「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」桃井タロウ役)が決まったんです。そのときは父親がすごく喜んでくれまして。「頑張れ」と言ってくれたのはとてもうれしかったです。
――有言実行できたわけですね。
はい。僕、本当に運がいいなといつも思っているんです。よく友達にも言われるんですけど、僕「ここでこうならなかったら」がすごく多いんですよ。サッカーをやめたあのときにスカウトされていなかったらどうなっていたんだろうとか、親との約束の期限の間に戦隊のレッドが決まってなかったらどうなっていたんだろうとか。
「体感予報」にしても、あのドラマがヒットしていなかったら? とか。本当に幸運だなと思います。
――「すべて実力ですよ」と思うのですが、ご自身としては、運がいいと思っていらっしゃると。
はい。運がいいって信じてます。
――そんな運に導かれてさまざまな作品と出会ってきた樋口さんですが、現在、俳優としての仕事やお芝居に対する面白さはどのようなものだと思っていますか?
まずは、ドラマだと自分は話の結末を知っているけど、その結末を知らない人たちが「こうなんじゃないか」と考察しながら見てくださっているのを見るのが面白いです。
あとは、人間力がつくこと。毎回毎回新しい環境に身を置いて、いろんな人間の人生を演じていくわけですから。いろいろな人生を経験し、吸収できることはとても勉強になります。
この職業は人と会う回数が多いし、作品ごとに環境も変わるので、人間というものをすごくリアルに感じられて、向き合う職業だと思うんです。だから人間力が上がる仕事だなと思いますね。
――本当に多くの人と出会うお仕事だと思いますが、これまで出会った人の中で特に樋口さんに大きな影響を与えた人を挙げるなら?
「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」の田崎竜太監督です。「仮面ライダー電王」や「仮面ライダーW」だったりと、昔から特撮シリーズの監督を手掛けていて、今第一線でご活躍されていらっしゃるライダーや戦隊出身の俳優さんを育ててきた監督さんです。
まずは、その監督さんの元で芝居ができるということ自体すごく恵まれていたことだと思いますし、初めての撮影のときに「芝居をなめていたのかもしれない」って思ったんです。
もちろんなめているつもりはなかったんですが、僕はその時点でお芝居のことが全然分かっていなかったので。それまでも少しは作品に携わることはありましたけど、がっつり役を演じるということは初めてだったので、田崎監督に出会って、俳優としてようやくスタートラインに立てたという実感がありました。
――田崎監督に教わった中で特に印象的だったことは?
たくさんのことを教えてもらいましたけど、まずは芝居は心情から作っていくんだという、芝居のベースを教えてもらいました。「心身ともにその気持ちにあった状態に持っていけよ」と。しんどい役を演じるとして、実際の僕がしんどくなかったら、そこにギャップが生じるもので。だったら現場まで走ってくるなりして、そこまで持ってこい、と言われました。
そこで学んだ芝居の基本は、僕の俳優人生にもものすごく生かされていると思います。もちろんこの現場での監督は田崎監督だけじゃなく、いろいろな監督さんがいて、いろいろな考え方がありました。それも面白かったですね。
「こんな考えの人もいるんだ」とか「こういうアプローチもあるんだ」とか。柔軟に、いろいろな人の意見を聞きながら進んでいくことを教えてくれる現場でした。
――田崎監督には、「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」が終わったときに何か言われましたか?
「主演としてよく頑張った」というのと「成長した」と言っていただけました。それだけで1年間やってよかったなと思いました。やはり1年間続く戦隊ドラマに出演するというのは、大変なこともたくさんあるけど、学ぶことがたくさんある最高の現場だと感謝してます。
1年間、本気で頑張った人にとっては「あのときは良かった」って言える大事な期間だと思います。そう思うと、監督に「成長した」と最後言っていただけたということは、頑張れていたのかなと思いました。
――今、ご自身で振り返って、あの1年間は経験して良かったなと思いますか?
思います。あの時期がなかったら今の自分は絶対にいないです。スーパー戦隊の現場って昔からずっと変わっていないんです。だからスタッフさんたちから、今活躍していらっしゃる俳優さんたちの当時の話がよく出るんです。
「彼はどうだった」「こんな努力をしていた」など。先輩の方々のそのとき頑張っていた話を聞くことがたくさんあってすごく励みになりました。いつか僕も、後輩たちに「樋口はこうだったよ」と言ってもらえるようこれからも努力を続けて行かないといけないと思いましたし、お世話になったこの現場のスタッフの皆さんに少しでも恩返しができてるよう頑張らないといけないと思いました。
いつか10年後に、スーパー戦隊に戻ってこられたらいいですよね。若い頃に育ててもらった場所に自分の持っているものを還元できるよう頑張りたいと思います。
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