「今すぐKiss Me」「恋をしようよYeah! Yeah!」などのヒット曲を持ち、1990年代からの音楽シーンを沸かせたLINDBERG(リンドバーグ)。2002年にボーカル・渡瀬マキの出産を機に解散をしたが、2014年に完全復活での再結成。今年はメジャーデビュー35周年になる。現在は二児の母となっている渡瀬だが、第一子の育児は精神的に追い込まれた日々だったという。活動休止中にあった子育ての苦闘、リンドバーグ復活にあった舞台裏を聞いた。(後編/全2回)
――2009年の20周年のときに1年限定で再結成。その後2014年の25周年で完全復活されました。このとき、なにか気持ちが変わるきっかけがあったのでしょうか?
20周年のときは本当に1年間だけでいいっていう、お祭りみたいな気分でした。1年で終わることを最初から決めていたからやりきった感がすごくて、正直ラストライブもそんなに寂しくはなかったんですよね。だけどそれから数年経つと、本当にこのままリンドバーグをなくしてしまっていいのかなっていう気持ちが沸々と湧いてきて。私が生きる道ってそこしかないんじゃないかって、自問自答です。
――音楽で生きるということですか?
音楽=リンドバーグですね。音楽だけだったら別のやり方もあるけど、リンドバーグで生きていきたかったんですよね。それでメンバーに相談したら、「もちろんやるよ!」って、すぐに決まりました。
――やりたかったんでしょうね。メンバー全員がリンドバーグを。
だって、私が育児で休んでいる間、チェリー(小柳"cherry"昌法[ドラム])は何回会いに来てくれたことか。「もう一度やろうよ」って、何回も何回も来てくれましたね。そのたびに私は「できない」と断っていたんですけど、それでもしばらくするとご飯の誘いが来て、「もうそろそろどう?」みたいな感じでね(笑)。いつもそんな話になっていました。やっぱりみんなリンドバーグへの愛情がものすごくて、待ってくれていたんだなって、そのときは本当に強く実感しました。
――ギターの平川達也さんと結婚されて、1999年に第一子を出産。2002年のバンド解散は、育児に専念するためでした。再結成のときは音楽活動と育児の両立に心配はありませんでしたか?
25周年のときには息子の経験があったし、娘ももう小学校に入っていたからそこまで心配になることはありませんでした。でも、息子のときは本当に無理でしたね。最初は両立できると思っていたけど、全然ダメ。世の中にはできている人がいるけど、初めての子どもだったし、育児は考えていた以上に大変すぎました。結局母に来てもらう形になって。やっぱり両立なんてできひんってなったんですよ。
あのときのことを思い出すと、もうなんとも言えない感情になります。子どものことはなんもできひんし、子どもを置いて仕事に行っても心ここにあらずで、なにをやっても非常に中途半端。悩んだり泣いたりはしょっちゅうで、息子がなにをしても泣き止まなくて、一緒になってまた泣いて。ちょっと具合が悪くなるともう怖くなってすぐ救急車を呼んでしまったり。どうしていいかなにも分からない。精神的にどんどん不安定になっていきました。
――育児ノイローゼの状態ですね。
だけど言葉が通じるようになって、子どもがなにを求めているのか、こちらの言うことも理解してもらえる年齢になると、嘘みたいに楽になったんですよ。通じ合えるってこんなに違うんだって、驚いたことは今でも覚えています。それでもまだまだ小さいから周りの協力なしではできなかったけど、大変な時期を抜けられたっていうのは感じましたね。
――今、渡瀬さんの苦しそうな表情を見ているだけで、当時どれだけ大変だったのかが伝わってきます。
でしょう(笑)。でもね、大変で悩みましたけど、この時間って何十年後かに振り返ったとき、絶対愛おしい時間になるっていうのだけは分かっていました。この時間は絶対にかけがえのないものになるって。頑張れたのは、心の中にそういう気持ちを持っていたからで、実際その通りでした。今振り返ると、もう全てが愛おしい時間です。そのことを心の片隅にでも置いとくのと置いとかへんのでは全然違うと思います。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)