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【連載】愛さえあれば不安はかき消せるのか/三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」#5 不安に悩む人へ

2024/09/25 18:00


不安の中身を知ることが大事だと述べたのは、それが転地効果のような実用的な緩和策と繋がり合って、癒しをもたらしてくれるということを意味している。不安を感じている事実に恥を覚える必要はない。むしろ不安を感じていると自覚できないことの方がより大きな問題なのではないかと思う。自分は生に関して一切の執着を持たないとわざわざ宣言する人の方が、不安の存在を認められないという意味で怖がりだからである。

わたしたちは半ば本能的に、動く側、物事を変える側であろうとする。人間が自らの力を恃(たの)み、世界をどうにかできると思い込むのは、偶然生まれ落ちた不条理なこの世界に抗し、人間という測り難い生命体である自身を何とかコントロールして、「意味ある存在」たろうとする抵抗のようなものだ。それは、人間にとって初めから敗北が運命づけられた戦いでしかない。歴史的偉業とか、名を成すといったことの意義を否定するつもりはないのだが、それらはあくまでも人間の抗いの中で、生まれた傍から古びていく限定的な戦績の記念碑に過ぎないということだ。だから、希望という爆弾を抱えて必死に生きようとするのはとても人間的なことだが、不条理との向き合い方は、不安を抱えて生きようとする己を見つめることでしかない。

わたしにとっての不安とは、比較的幼い頃から決まったものだった。この世の中を、そして自分自身を愛せないのではないか、という疑いが絡まった厭世(えんせい)的な憂鬱である。そこから踏み出す上で癒しとなったのが、読むこと、そして書くという創造的行為だった。読むことで歴史を遡って他者とまみえ、書くことでまた他者と繋がる。その自らの来歴に鑑みれば、気分が乗らず何も生み出せなくなるということは、すなわち自身が置かれた孤独やそれに向かい合う精神をどこかでコントロールできなくなるかもしれないという不安に繋がった。ただ、それが分かってさえいれば、問題はないのである。書けるようになるまで新しいものを見聞きし、放浪したりして待てばよいのだから。

自己嫌悪は内省の初めの段階であり、そこに留まっていると自分や世の中に対する厭(いと)わしさに囚われてしまい、その先へと続く階段を降りてゆけない。不安の中身を理解することで初めて自らの行動を解釈でき、一段深い所にある自己の存在を見つめることができる。自己嫌悪になりにくい人というのは、要は自己正当化能力が高いのだろう。ただ、そういう人は目的に向かってまっすぐ最短距離を走って行けるかもしれないが、内省がもたらす豊かさとは無縁である。自己を正当化し、合目的的な行動だけに専念すれば幸せになるとも限らない。周囲を気にしないというのは、よほど魅惑的な人でない限り、やはりどこかで孤独に直面する場合があるからである。



不安に対応するもうひとつのやり方には「動くこと」がある。動きには、文字通り動くことも含まれる。汗をかくまで運動したり、陽の光を浴びて一時間でも二時間でも草むしりをすれば、疲れきって大抵の憂鬱は解消する。場所を変えれば気分も変わる。不安を動きで解消しようとするのは、人間にとって自然な習性なのだろう。

ただ、転地療養や適度な運動のように心身の健康に良い動きもある一方で、敢えて自らを痛めつけるような行動も世の中には存在する。例えば、リストカットを繰り返す人は不安ゆえに、傷をつけることによって倒錯的な安心を求めるのだし、度を越したギャンブル依存などもそうした自虐的行為のうちに入るだろう。不安によって自己を苛(さいな)むような状況は、そうした習性を持たない人からするとまるで真意が掴めない。アメリカでオンライン賭博にのめり込み我を失っていたことが明らかになった人の件でも、日本の世論には通常の人の思考回路で何とか理解を試みようとする意見が目立った。それは当たり前といえば当たり前のことで、自尊感情と自虐性が撚り合わさった独特な不安の発露を本当に理解できる人というのはこの世に少ない。

ドストエフスキーによる自伝的要素の強い小説『賭博者』に出てくる主人公のアレクセイはその典型像であろう。彼はマゾヒストとして描かれているが、ギャンブルの自虐ループから抜け出られなかった主人公は、恋愛においても一見マゾヒスト的な態度を取りつつ、結局は愛する人を踏み躙(にじ)る。自尊感情はエゴイズム抜きに成り立たないし、それがあるからこそ不安も高まる。自らを痛めつけるような行動を敢えてとってしまうのも、本当は不安のなせる業なのだ。

人間はエゴなしに生きていくことは不可能だが、エゴの存在は不安を拡張する。人によっては、他者や自身を苛む攻撃を意識的に繰り返すことで、不安をもたらす大本の不確実性、運命そのものを制御していると思い込みたがる厄介な生き物なのだ。そこから、生きることに纏わる欲求の問題が出てくる。これを内部的な欲求に求めずに、外部的な刺激に求めすぎてしまうと、満たしても満たしても本当には満たされないという状況が生じる。何かに衝き動かされたような感じに人がしばしば耽溺(たんでき)するのは、外部的な刺激によって触発された衝動に身を任せているのにすぎない。その場合は、たしかに興奮すれども、その都度不幸を感じることになってしまう。自らの真の望みにつれなくして、外部から受ける刺激に従うというのは、ある意味で自傷的な行為であるということだ。

したがって、そのような状況から逃れるためには自らの不安と向き合うしかない。そして、長期的に不安を和らげてくれるものを探すしかない。わたし自身が見出したように、読むことや書くこと、あるいは料理をすることや絵を描くことである人もいるかもしれない。スポーツに打ち込み、あるいは山を登る人もいるだろう。ただ、人間である限りは自己の存在を超えて他の仲間を必要とする。幸せとは何か、というのは一概にはいえないだろうが、自分を大切にしながら不安を宥め、長年の持病のようにそれと付き合っていく道を見つけることが必要なのだとしたら、友情や愛情ほどそれに向いているものはない。

【写真】誕生日に訪れたヴェネツィアの夜の水路
【写真】誕生日に訪れたヴェネツィアの夜の水路本人提供写真
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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

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  • 【写真】誕生日に訪れたヴェネツィアの夜の水路
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