「新しい役をいただくとワクワクする」連ドラ女王・観月ありさの歩み
週刊ザテレビジョン創刊35周年企画として、本誌を彩ってきたテレビスターたちがテレビとの思い出を語るスペシャル連載がスタート。第3弾となる今回は、4歳からモデルを始め、数多くのCMに出演。1988年、11歳のときに「あぶない少年III」(テレビ東京系)で連続ドラマデビューした観月ありさ。抜群のプロポーションの美少女だった観月は、今や“26年連続、30回のテレビドラマに主演”という記録をもつ女優として輝き続けている。

まさかのオーディション合格 モデルと並行して女優へ
観月ありさがモデルから女優へ踏み出し、注目を集めたきっかけはあの名作ドラマだ。
「モデル時代にいくつかドラマのオーディションにも行ってたんです。きっと落ちるだろうなと思いながら受けたのに、まさか受かっちゃったのが『教師びんびん物語II』(1989年フジ系)の生徒役。田原俊彦さんが先生役で、あんな大スターなのに、私たちと一緒にロケバスに乗って移動してくれて、みんなの悩み相談や恋の相談にも乗ってくださって。子供扱いせず一人の人間として扱って一緒の空間にいる感じだったから、すごく楽しかったですね。普段通っている学校はもちろんあるんですけど、もう一つ学校に行っている気分でした」
1991年には「伝説の少女」でCDデビュー。同時期には当時、“ジェットコースタードラマ”と呼ばれ、話題になった、吉田栄作主演の衝撃作「もう誰も愛さない」(1991年フジ系)に出演。山口智子の妹役で、あるトラブルから記憶障害を発症してしまう難役に挑戦した。
「とにかく展開が早くて衝撃的なドラマでしたよね。一瞬見逃すと分からなくなっちゃうような。障害のある役でとても難しかったですし、私、ラスト近くで撃たれて死んでしまうんですね。胸のところにパンと破裂するのをつけていて、そのスイッチは裏でスタッフの方が押すんですけど、どのタイミングで押されるのが分からないので、いつ来る?いつ来る?ってドキドキしながらお芝居していたのを覚えています。で、私が撃たれたあと、栄作さんが私の横で『うぉぉぉぉ』って叫ぶという…。当時この叫びがすごく話題になっていて。栄作さんも『オレの声、絶対うるさいから、耳元で言うから、耳ふさいどくな!』と言って、死んでいる私を抱えているふうにして、私の耳をふさいで叫んでくださったんですよ。栄作さんの心遣いが懐かしいです(笑)。時を経て、栄作さんとは恋人同士も演じたので、すごく不思議な感覚です」
そして、初主演作品となった「ぼくたちのドラマシリーズ『放課後』」(1992年フジ系)。観月演じるお嬢様育ちの優等生が、いしだ壱成演じる正反対のやんちゃな劣等生と入れ替わってしまう学園ドラマだ。
「主演で、と言ってくださったのはとてもうれしかったんですけど、お芝居に対してどこか苦手意識があって、私には無理かも、と思ってたんです。現場でも手探り状態で、ドラマの世界観に一生懸命なじむように必死にやっていたような気がしますね。ただ、役柄がいわゆる“男の子の役”ということで、キャラクターがハッキリしていたので、つかみやすかったというのはあったと思います。現場の雰囲気がとってもよくて、ドラマをやっている間は、壱成くんも本当に女の子みたいになってて、2人とも男女が逆転したような日々を送ってたんですね。前室から男女が入れ替わっている感じでしたね。スタジオに入るときから、私は扉をバーンと開けて『おはよう~!』みたいに元気に入ってきて、逆にいしだ壱成くんは、肩をすぼめて小声で『おはようございます…』みたいな感じで(笑)。そのおかげで、最後までやりきれたかなと思います」

演じるのが苦手だったときに出会った作品で女優開眼
翌1993年には「じゃじゃ馬ならし」(フジ系)で中井貴一とW主演。このとき、本誌で初レモン(=表紙)を飾った。
「このときが初レモンだったんですね! 私はこのときは16歳だったんですけど、貴一さんがいてくれて、本当に良かったなと思いました。貴一さんのおかげで、みんな本当に仲良しで。みんなで一緒に打ち上げとかで温泉に行ったり、ゴルフをしに行ったりしたことも。貴一さんのおうちにも遊びに行かせてもらいました。貴一さんのたたずまいとか、スタッフの方からエキストラの皆さんに至るまで細部にまで気を使う、現場に向かう姿勢が本当に素晴らしくて。主演をやるとはこういうことなんだなと思いましたね」
芝居に関しても、大先輩の中井からすてきな言葉をいただいたという。
「そうなんです。『お芝居というものはキャッチボールだから、自分がストレートで投げると誰かが受けてくれて、今度はカーブで投げ返してくれたりする。そういう面白みみたいなものがあるんだよ。お芝居は一人でするものじゃないから』と教えてくださって。ちょうどこのころ、どういうふうに現場にいればいいんだろうとか、私はあまり向かないのかな、女優さんのお仕事をちょっとセーブしようかなぐらいに迷いがあった時期だったんですね。でもこの作品をやって、もうちょっと頑張ってみようと素直に思えた。撮影現場での楽しみ方を学んだ作品でした」
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