
NHK総合で放送されている「チ。―地球の運動について―」(毎週土曜深夜11:45-0:10、NHK総合/Netflix・ABEMAで配信)が、3月15日(土)放送の第25話で最終回を迎える。地動説を追いながらさまざまな角度から知的好奇心をくすぐる内容に、多くの視聴者が引き込まれたことだろう。この特異な作品を、原作者の魚豊(うおと)はどのような構想で組み立てたのか。壮絶と言える物語を紡いだ原作者はどのような人物なのか。人となり、ルーツにも迫りながら作品創作について聞いた。なお、魚豊は現在27歳。「チ。」を描いたのは22歳のときになる。これを念頭に読むと、衝撃はより大きくなるに違いない。
哲学、思想の落とし込みが「チ。」着想の出発点
――地動説を題材にした中で、天文学、宗教、地球観、死生観など視点によって見えるテーマが変わる作品です。魚豊さんの中では、「チ。」の一番の軸はどこに置かれているのでしょうか?
それでいうと、哲学ですね。今おっしゃった事柄を包む形式で思想を扱った作品になっています。
――思想を描こうと思ったきっかけというのは?
「生きているから」としか言いようがなくて、難しいですね(苦笑)。それに一番興味があったし、今も一番興味があって、自分が生きていること、みんなが生きていること、地球が生まれたこと…みたいに、考えると全てが不思議で、すごく面白いことだと思っていて、何かを描くと言ったらこれが一番のテーマでした。
――構想の出発点に“人間の知性と暴力性”があったと過去のインタビューで述べています。そのベースに哲学、思想への興味があり、地動説に行き着いたわけでしょうか?
流れとしてはそうなります。思想を内包した作品にしたいと思ったときに、“知性が弾圧される”という話であれば形になりそうだと。そこからガリレオの宗教裁判に地動説の迫害が絡んでいたという話を思い出したけれど、詳しく調べてみたら全く違ったんですよね。別に地動説自体の数理的発想は迫害はされていなかったというのが一旦の事実であったという。勘違いというか、流布されている物語と事実の違いも興味深くて、それを含めてマンガにできればと思いました。
――“人間の知性と暴力性”には、戦争も当てはまりそうです。そちらの方向は頭にありませんでしたか?
戦争って知性による交渉が先にあって、それが決裂した結果として生まれる行動だと思います。「戦争は政治の延長」というように、さまざまなテーマが紛れ込んでしまって。やりたかった“知性と暴力性”というテーマを短距離で抽出するのには向かない題材だと思います。それに、戦争には政治はあるけど、哲学はない。僕が考える作品像として、地動説の方がより高純度に哲学を出力できていますね。
死を怖がっていることが自分の唯一の作家性
――題材の心当たりにまず地動説が思い浮かぶ人というのもなかなか珍しいと思います。昔から天文に興味をお持ちだったのですか?
天文自体に興味はありましたが、特段熱を入れて勉強したわけではありません。ただ、大学で哲学を学んでいたので、地動説がどういう影響を人に及ぼしたか、みたいなことは、ぼんやり馴染みのある話ではありました。カントやトーマスクーンとかがメタファーとして使ったりして、調べていくとそういうところも興味深かったです。
――一般的に哲学と聞くと、難解な分野をイメージすると思います。哲学のどこがそんなにも面白いのでしょうか?
さっきの話にもなりますが、全てが興味深く思えるんですよ。「なんで?」って真剣に考える人たちの言葉を読めるなんて素晴らしい。これが僕の性質で、そういう星の下に生まれたとしかお答えできないですね(笑)。強いていうなら、「生まれたから興味がある」「生まれたことに興味がある」ということですかね。
――人間観察が好きなように感じます。
あ、違います。人間観察はむしろ不得意です。ただのうざいだるいやつだと思います(笑)。普通、「こういう風に生きなさい」と言われても、「だる…」ってなるじゃないですか。でも、西洋哲学はものすごくロジカルで、「こうだからこう」と、論証と根拠付けの組み立てです。だけど、最後はポエティックになっていくものがあって、謎の説得力を産む。僕の見たかったものはこれだと、痺れました。
――「チ。」に入っている死生観も、しっかり言葉として組み立てられていますね。魚豊さんは、人の生死はどのように考えられているのでしょうか。特別な体験などは?
言えるような体験はなにもないくらい普通です(笑)。昔トラックに撥ねられたくらいでしょうか。まぁ結局生きているし、その後も平凡に生きているのですが、平凡だからこそ考えるのかもしれなくて、「死ぬ」ということをものすごく怖がっています。
――死後の世界をどう想像していますか?
“無”です。人は死んだら“無”のところに行くと思っているし、でも、言ってみれば生きていることも“無”だと思っています。「北斗の拳」の「お前はもう死んでいる」ってまさに人生そのものというか、別にいつか死ぬのは確定していて、「もう死んでいる」までのタイムラグが人それぞれの寿命。生まれていることも“無”だし、長く生きられたとしてもそれはそれで“無”だし、子どもが生まれて、その子どもが子どもを産んで、「で?」って。そう考えると生と死ってすごく不思議だし、面白いです。
――生命に対する哲学的疑問であり、達観しているというか…。でも、分かります。突然考えることはあります。お金であったり名声であったり、充実した日があったりしても、死んだら自分という存在はどうなるのだろうと、急に怖さが襲ってくるという。
まさにそれですね。生きていても“無”だけども、死んで“無”になることも怖くて仕方ないんです。多分、それが僕に唯一ある作家性なんじゃないかと思います。

































