週刊ザテレビジョン創刊35周年のメモリアルとして、本誌を彩ってきたテレビスターたちがテレビとの思い出を語るSPインタビュー企画。
第8回には、“深キョン”の愛称で親しまれる女優・深田恭子が登場。1997年、中学3年生のときに女優デビューして以来、数多くのドラマに出演してきた彼女は、週刊ザテレビジョンと同じく35歳。「デビュー時は役になりきることも分からなかった」と語る深田は、約20年の時が経った今、どう変化したのか。
近年、美しさとりりしさに磨きがかかる深田だが、“愛くるしさ”はデビュー当時から変わらない。しかし、10代のころのインタビューを見て「自分のことを“恭子”と言っていて恥ずかしいですね」と笑う。そんな彼女が芸能界入りを果たしたのは、中学2年生のときだ。
「父親の知り合いの方が勧めてくれた“ホリプロスカウトキャラバン”がキッカケでした。それまでは、テレビの世界は、自分とは懸け離れた“華やかな世界”という印象だったんです。自分がその中に入るなんて、想像したこともなかった。小学生のときが一番ドラマを見ていたんですが、当時は福山雅治さんが大好きで、福山さんが出ているドラマは欠かさず。ごくごく普通の小学生でしたね。なので、『ガリレオ』(2007年フジ系)で福山さんと共演したときは、当時の憧れを思い出して緊張しました。私が衣装で着けていたネックレスのチャームがズレていたみたいで、本番直前に“ズレてるよ”って直接、直してくださって。突然のことでビックリして顔が真っ赤になって、本番にいけなかった…ということもありました(笑)」
福山雅治が大好きだったという小学生時代。福山出演作品以外では、日本テレビ系の土曜夜9時、通称“土9”に夢中だった。
「当時、土9枠で放送されたドラマを毎週楽しみにしていました。『銀狼怪奇ファイル』(1996年日本テレビ系)に出演していた宝生舞さんが大好きで。重ための前髪パッツンヘアが憧れでした。今も前髪に対するこだわりが強いのは、その影響な気がします(笑)。あとは『家なき子』(1994年日本テレビ系)の安達祐実さんも大好きでした。安達さんは、高校で1コ上の先輩だったんですよ。学校でお見掛けするたびに、感動してました。いまだにお仕事でご一緒すると、チラチラ見ちゃいます。自分がこの世界に入る前から活躍されている方にお会いすると、今でも素の自分に戻ってしまう。私って単純ですね(笑)」
テレビの世界の人に憧れ、影響を受ける。そんな普通の少女だった深田の連続ドラマデビューは、憧れの土9枠。ともさかりえ、篠原ともえが出演したドラマ「FiVE」(1997年日本テレビ系)だ。深田が演じたのは、物語終盤のキーを握る車椅子の少女・早苗。
「メーンキャストの方々が、いくつも現場を掛け持ちされていてとにかく忙しくされていたのが印象的でした。ドラマってこんなにも大変なんだって衝撃の連続。そのころの私といえば、役になりきったり、感情をセリフに乗せるのもよく分かってなかったような気がします。作品のテーストも重たかったので、“楽しい”という感覚にはあまりなれなくて。これが自分のお仕事になっていくのか実感を持ててなかった。仕事に対しての向き合い方が、子供でしたね」
「FiVE」出演から1年後、平均視聴率22.6%を記録したドラマ「神様、もう少しだけ」(1998年フジ系)のヒロインに大抜てき。HIVに感染した女子高生・真生を演じた。当時、15歳。この作品について「記憶の扉を普段は閉じています」と話す。
「この作品が終わった直後から、無意識に…。とても大切な作品ではあるんですが、当時の私にはストーリーが重た過ぎて、自然と閉じちゃったんだと思います。でも、この作品は全てを教えてくれた現場でした。人生で一番怒られたかもしれないです(笑)。一番印象に残っているのは、助監督さんに言われた“代わりはいくらでもいる”という言葉。当時は、“それなら別の人が演じたらいいのに”ってひねくれちゃったりもしましたが(笑)。今はこの言葉のおかげで、“代わりはいる中でも、自分に役を振ってくれた”という真摯な気持ちで役と向き合えています」
「神様、もう少しだけ」の翌年には「鬼の棲家」(1999年フジ系)でドラマ初主演、そして「to Heart~恋して死にたい~」(1999年TBS系)では、堂本剛演じる時枝ユウジにいちずな恋をするヒロイン・三浦透子を演じた。
「この作品で初めてくらい、明るいコを演じたんです。それも影響して、現場に対しても明るい気持ちで臨めて。このとき自分が役に引っ張られるタイプだと気付いたのかもしれません。物語も少女マンガのような爽やかなときめきのある作品。透子のセリフ“愛はパワーだよ”は、今もいろんな方に“好きです”って言ってもらえて、ありがたいです」
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)