
ハライチの岩井勇気がメインMC、徳井青空がマンスリーアシスタントを務め、マンスリーゲストに仲村宗悟を、ゲストにサンシャイン池崎を迎えた「SHIBUYA ANIME BASE #シブアニ」(毎週金曜夜9:00~10:00 ABEMAアニメチャンネル)の #47では、影山ヒロノブのインタビューが公開された。

「ギョーカイ深堀りコネクション」

まず初めに、アニメ関連業界で働く人の仕事や人柄を深堀りする「ギョーカイ深堀りコネクション」のコーナーに影山が登場し、国民的アニソンシンガーへの軌跡に迫った。1977年16歳で歌手デビューし、現在も現役でステージに立つ影山の、今回、「シブアニ」が歌手活動の拠点となるプライベートスタジオを訪れると、お宝だという鳥山明先生の直筆サインやギターがずらりと並ぶ。
本コーナーでは、どのようにして現在の活動にたどり着いたのかについて、年表形式で紹介していった。
1977年、当時16歳でLAZYのボーカルのミッシェルとしてデビューした影山は、当時について「デビュー曲を作詞したのは作家としてデビュー間もない森雪之丞さんなんです。すごいでしょ? 2枚目のシングルもレコード会社がすごく力を入れて、作曲は都倉俊一さん、作詞は松任谷由実さん。作詞・作曲でいえば、これ以上ないくらいの話題のコンビで出したんですけど、あんまり売れなかったんです(笑)」とふり返った。

17歳にして

1978年には17歳にして、「3枚目の『赤頭巾ちゃん御用心』というすごいかわいい曲がめっちゃ売れました。でも、もめましたね。かまやつひろしさんにスカウトされた時は、デビューはかわいらしい曲でも、みんな、うまいからすぐハードロックな曲ができるようになるよって言ってくれていて、そういうつもりもあったんですけど、1枚目、2枚目が、ぜんぜん売れなかったことによって、3枚目がよりポップなやつになったんですよ」「ここまでかわいくなくていいんじゃない? もっとロックなことをやらせてほしいなって言ってたけど、レコード会社とか、事務所はどんどんパターンを変えて、もっとかわいくてファン層の女子中高生がよろこぶ方向で追求していこうっていう感じで」「もめながらも続けたけど、4年間が限界だった」とロックを追求したいメンバーと、売れるかわいい曲を出したい事務所&レコード会社で衝突していたと語る。
その結果、デビュー4年後にLAZYは解散となり、影山は、1981年、20歳でソロデビューした。
次回、影山ヒロノブ完結編では、「業界がふり向いてくれたことは一回もなかった」と語る影山が、どのようにして今の地位まで上りつめたのかに迫る。

この記事はWEBザテレビジョン編集部が制作しています。
「SHIBUYA ANIME BASE」#シブアニ
毎週金曜夜9:00~10:00 ABEMAアニメチャンネルにて生放送
【5月23日 #47】
「SHIBUYA ANIME BASE」



































