
8月5日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)では「レジェンドたちの甲子園2025」と題し、番組にこれまで登場したレジェンドたちの高校野球の記憶を一挙に紹介。彼らにとって甲子園とはどういった場所だったのか。球史に名を刻む男たちの青春が熱く、そして時にほろ苦く語られた。
甲子園の語り草となっている“牛島語録”の知られざる秘話
まず登場したのは、元阪神タイガースのヒットメーカー・藤田平。市立和歌山商業時代に選抜大会で準優勝を経験した藤田だが、その裏には熾烈な競争と過酷な練習があった。当時、野球部の監督として新たに就任したのは甲子園常連校を率いてきた名将・長谷川治。その注目度から1年生部員はなんと100人以上に膨れ上がったが、「練習があまりにも厳しくて、夏までに13人しか残らなかった」と藤田は明かす。極限の環境を生き抜いた者だけが辿り着いた甲子園。その舞台での活躍は、結果以上に“耐え抜いた先にあった”という実感が滲んでいた。
続いて、元中日ドラゴンズ・牛島和彦の伝説的エピソードが紹介された。大阪の浪商高でエースとして春のセンバツに出場、チームは準優勝という輝かしい戦績を残した牛島だが、本人の記憶に強く残っているのはその決勝戦であった。8回裏、相手にサイクルヒットのかかった打者が登場。監督からは初の敬遠のサインが出たが、牛島は「ここで敬遠はないやろ、嫌や、逃げるのは」と感じたため、伝令に対して「“投げているのはオレや。黙って見ておけ”と言ってこい」と命じたという。
牛島は言葉を選んで監督に伝えてくれるものだと思っていたが、あろうことか伝令は牛島の言葉をそのまま伝達。結果、相手打者に二塁打を打たれてサイクルヒットを許し、チームは逆転負けを喫した。苦い経験ではあったものの、今となっては“牛島語録”として語り草となっており、牛島本人も当時を懐かしみながら笑顔で語っている姿が印象的だった。
華々しい活躍の影で…一生分の悔し涙を飲んだレジェンドの青春時代
甲子園で華々しい活躍をしたレジェンドもいれば、晴れの舞台に立てなかった選手たちもいる。元阪神の江本孟紀は高知商業高校で四国大会優勝を果たし、春のセンバツに出場するのが確定していた。ところが、甲子園が始まる3週間前に他部員の暴力事件が発覚して出場辞退が決定。江本は当時、テレビのニュースでその事実を知って衝撃を受けたという。高野連から「1年間対外試合禁止」と処分が言い渡され、その夏の大会も断念せざるを得なかった。
春のセンバツには出られなかったものの、江本らは開会式を観るためにチームメイトとともに甲子園球場へ足を運んだという。自分たちのチームに負けた2位、3位のチームが入場してくるたびに「弱かったなぁ」と笑いながら見ていたエピソードをこぼす。
またひと際現実を突きつけられたのが、四国大会で4位だった今治南高校が高知商業の代わりに入場する姿を見たときだったそうだ。あまりの悔しさでチームメイト全員が涙を流し、江本は「一生分の涙が出たでしょうね」と当時を振り返った。
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