
8月26日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは大阪近鉄バファローズで強肩捕手として活躍し、盗塁阻止率.536という今なお破られていないパ・リーグ記録を持つ梨田昌孝だ。少年時代の野球との出会いからプロ入り後の熾烈な正捕手争い、そして独特の“コンニャク打法”誕生の裏側まで、数々の知られざるエピソードが明かされた。
「キャッチャーは嫌だった」…少年時代の葛藤と成長
梨田は島根県浜田市の出身。野球が盛んな地域ではなかったため、幼少期は空き地で仲間と遊びながら野球に親しんでいたという。テレビ中継は巨人戦しかなく、憧れは王貞治と長嶋茂雄だったと懐かしそうに語る梨田。
中学で本格的に野球を始めた際、新入部員45人の中で3番目に背の高かった梨田は捕手を任された。梨田は当時のことを「顔を隠さなければならず、立ったり座ったりを繰り返さないといけないのでキャッチャーは嫌だった」と率直に振り返る。また捕手はサインを出し、難しい球を捕球して、さらに走塁を差すなど仕事も多い。そんなこんなで監督に叱られてばかりだったため、苦しい日々が続いたと振り返る。
だが監督の方針でさまざまなポジションを経験していく中で、どこにも苦労や困難があると実感。「目覚めたって言いますかね」と、最終的に捕手としての覚悟を固めたという。
また運動神経が抜群であった梨田は陸上競技でも才能を発揮し、中学時代には三種競技で島根県記録を更新。MCの徳光和夫から「陸上の道に進もうとは考えなかったんですか?」と質問されると、「陸上ではお金にならないと思った。王さんや長嶋さんを見ていると、野球だなと思った。早くに父親をがんで亡くしたこともあり、中学時代からプロを意識していた」と語った。
近鉄での熾烈な正捕手争いと強肩伝説
地元の浜田高校へ進学した梨田は春夏の甲子園に出場し、捕手として全日本選抜にも出場するほどの力をつけた。高校3年秋には近鉄からドラフト2位指名を受け、18歳でプロ入りを果たす。入団当初は体力や技術面の差に圧倒され「ちょっと早すぎた」と感じながらも、1年目からスタメン出場を経験。巨人とのオープン戦で塁に出ると、憧れの王貞治から「いいバッティングしてるね」と声を掛けられたこともあるそうだ。さらに「何とか3塁まで行けば長嶋さんに会える」と胸を高鳴らせた当時を回顧する。
ただし当時の近鉄は正捕手不在。梨田が2年目のときに入ってきた強肩捕手・有田修三との熾烈な競争が始まる。近鉄の大エースとして活躍していた鈴木啓示は、梨田ではなく有田を指名するようになった。
その理由として、「ナシは悪いボールでも“ナイスボール”と言う。でも有田は“こんなボールでよく200勝できましたね”と毒を吐く。だから、有田のミットを見たら燃えるんや。お前のミットを見ても燃えない」と直接言葉を掛けられたエピソードを紹介。このできごとがきっかけで、梨田はスタメン出場以外の試合のときにベンチでリードや配球を熱心に勉強するようになった。これは後の監督・解説者としての基盤も築いたという。
梨田は盗塁阻止率.536という驚異的な記録を持っており、現役時代はノーステップで100mの遠投ができるほど強肩の持ち主だった。ところが右手中指を骨折したことがきっかけで可動域が狭くなり、送球にも支障をきたすように。
そこで梨田は、捕ってから早く投げることを意識。ミットの硬い部分で捕球し、球の反発を利用してミットからボールを素早く持ち替えられるようになったと詳しく解説する。驚異的な記録の裏にあった地道な努力と工夫に、徳光と遠藤玲子は感心しきりの様子だった。
https://www.bsfuji.tv/legendo/
■「プロ野球 レジェン堂」をTVerで見る
https://tver.jp/series/srgqxsfuw0
▼BSフジのオススメコンテンツまとめはこちら▼

































