【金スマ】作詞家・阿久悠のプロデュース戦略に中居正広も感嘆
11月24日(金)放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)に芳村真理がゲスト出演。数多くの歌手や名曲を世に送り出した作詞家・阿久悠にまつわる逸話や裏話の数々を語った。
音楽番組「夜のヒットスタジオ」(1968年~1990年放送、フジ系)の司会者を20年務めた女性司会者の先駆け・芳村からのリクエストで、作詞家・阿久悠にクローズアップ。阿久といえば、1970年~1980年代を中心に活躍し、5000曲以上もの作詞を手掛けた作詞家。日本レコード大賞の大賞5回作詞賞7回という受賞記録は作詞家として最多で、阿久の名曲の数々を当時の映像と共に紹介。尾崎紀世彦の大ヒット曲「また逢う日まで」は、ウーマンリブ運動などが盛んだった世情に合わせて、阿久が“強い女性”の詞に書き直したものであるといった裏話が語られた。
また、1970年代はまだ音楽プロデューサーという職業がなかった時代でありながら、歌手のイメージから戦略にいたるまでのすべてを手掛けたという阿久。デビュー曲「こまっちゃうナ」(1966年)の可憐な少女から、「どうにもとまらない」(1972年)で激しい恋の女に生まれ変わって低迷期を乗り越えた歌手・山本リンダは、「待って待って待って待って『やっと巡り合った、これだー!』と思って。本当にこの歌を真剣にがんばろうって」と、阿久の歌詞を初めて見たときの感動を涙目で語った。
伝説のオーディション番組「スター誕生!」(1971年~1983年放送、日本テレビ系)も、プロデューサー・池田文雄の企画骨子に、デビューするまでの審査過程をすべて見せるという当時構成作家だった阿久のアイディアが加わってスタート。しかし視聴率は伸び悩み番組打ち切りも見えてきた頃、13歳の森田昌子、後の歌手・森昌子が現れた。「『あの子を残せ』と先生が言ったらしいんです。『この子を1回目のグランドチャンピオンにしろ!』って言ったのも阿久先生なんです」と森が語った通り、森の登場以降、応募者の年齢層は10代中心に。以降に現れる桜田淳子や山口百恵に繋がったという。
阿久悠が仕掛けた数々のアイディアを紹介するVTRに中居正広も「見入っちゃいますね…」と感嘆。山本リンダの「狙いうち」などの作詞に関しても「どこからワードが出てくるのか」と驚いていた。音楽番組司会者という立場から、数々の名曲を通して時代を感じてきた芳村も最後に、司会者を務めていた当時を振り返って「一緒にこう…思いやっていた時代だったかなと思いました」と番組を締めた。
次回放送は12月8日(金)夜8:57より放送予定。