
9月9日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは、横浜大洋ホエールズで「スーパーカートリオ」の一角として活躍したレジェンド・高木豊だ。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに、幼少期からの野球人生やプロ入りの裏側、そして俊足トリオの舞台裏を明かした。
幼少期から野球一筋…「プロ野球選手になれるものだと思っていた」
山口県防府市に生まれた高木は、父親の仕事の都合で九州から北海道まで全国を転々とする幼少期を送った。その中でも常に野球に情熱を注ぎ、中学時代には叔父の野球チームで助っ人投手として登板。大人相手に完封勝利を収める。
そんな高木少年の噂は瞬く間に広がり、話を聞きつけた多々良学園高校の監督にスカウトされたことから1年生から主力として活躍する存在となった。
だがそんなスターロードを駆け上がっていた高校1年。秋の大会では小林誠二にノーヒットノーランを喫するなど、悔しい経験を味わうことも。それでも「プロ野球選手になれるものだと思っていた。プロの道を断念するなんて考えたこともなかった」と笑顔で語り、どんな逆境でも折れない強い気持ちを示した高木。常に前向きな姿勢の高木に、徳光は驚きつつも感心していた。
スーパーカートリオ誕生の秘話
1980年、大洋にドラフト3位で入団した高木。ルーキーイヤーには早くも江川卓との対戦機会が訪れた。結果として三振に倒れたものの、「江川さんから三振しても気持ちよかった」と当時を振り返った。
江川の武器はストレートとカーブで、決して球種は多くない。それでも「他の人のストレートとは違いましたね。伸びとか回転とか。いいピッチャーはものすごく“品”がありました」と回顧する高木。1mmの狂いもないきれいな縦回転がかかっており、糸を引いてくるような伸びが感じられたという。江川以外で品があった投手を聞かれると、江夏豊や平松政次、北別府学の名前を挙げる。
プロ4年目に高木はスタメンに定着し、打率3割、56盗塁をマーク。見事盗塁王を獲得した背景には、関根潤三監督の「場面関係なく走れ、アウトになってもいいから行って覚えろ」という思い切りのよい指導があった。当時の大洋には俊足の加藤博一、屋鋪要も在籍し、後に「スーパーカートリオ」と呼ばれる快足軍団が誕生。ちなみにこの特徴的なネーミングは長嶋茂雄が「スポーツカートリオ」と評したことがきっかけで、のちに近藤貞雄監督の時代に「スーパーカートリオ」として定着した。
俊足揃いではあったものの、実は3人の盗塁スタイルはそれぞれ違う。「高木は都会的でスマートな走り、屋鋪は多少強引で野性味あふれる盗塁、加藤はその中間」と評されることもあったそうだ。3人の中でもっとも足が速かったのは屋鋪で、100mを10秒台で走る驚異的な記録を持っていた。大いに注目を集めたスーパーカートリオだったが、高木は「3人よりも1人で立っているほうがかっこいい。トリオではなくソロで行きたかった」と当時の正直な気持ちを語ってスタジオを沸かせた。
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