
11月25日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00〜10:55、BSフジ)。今回のゲストは、西武黄金期を支え、ゴールデングラブ賞8回・首位打者1回を誇るレジェンド・辻発彦だ。MCの徳光和夫・遠藤玲子とともに、佐賀の少年時代から社会人野球、そして25歳でのプロ入り、広岡達朗監督との出会いまで波乱と成長の軌跡が語られた。
11人の弱小チームから始まった道のり
辻は佐賀県小城市の出身。建築業を営んでいた父親は大の西鉄ファンで、幼い頃から平和台球場へたびたび連れて行ってくれたという。家には父の弟子が住み込みで働いており、辻はその“お兄ちゃん”たちと自然にキャッチボールを楽しむ環境で育ったと明かす。
高校は佐賀東高へ進学。強豪・佐賀商業が席巻していた時代だったが、そこまで野球が上手い自覚がなかったため佐賀東を選んだと意外なエピソードを語る。長嶋茂雄に憧れていた辻は1年から三塁手として活躍するが、2年秋の新チームはわずか11人。「あの名手がそういう環境の中で育ったんですか」と徳光が驚いたように、決して恵まれた環境ではなかった。
なお、辻と同学年だったのが原辰徳。東海大相模の招待試合が佐賀でおこなわれた際、辻はスタンドから観戦したがファンの多さに圧倒され、同い年なのに“雲の上の大スターに見えた”と当時を振り返る。
高校卒業を間近に控えた頃、父親が体を壊したことから辻は就職を選んだ辻は日本通運のセレクションを受験。守備で諦めずに球を追う姿勢が評価され、「3年間は死ぬ気で頑張ろう」と覚悟を持って社会人野球の道へ進んだという。
プロ入りを後押しした妻の一言
日本通運では7年間プレーし、その間に都市対抗野球へ連続出場を果たした辻。入社3年目には広島・近鉄・阪急からプロ入りの誘いが届き、辻は「夢のようでしたよ。“行きます”と言えば行けるんだ、って」と当時を懐かしんだ。
しかし徳光が「プロに行こうとは思っていなかったんですか?」と尋ねると、辻は「(当時は)全く思ってないです。自分の力を知ってますし」と即答。社会人で幹部候補生になる道も示されていたため、プロ入りの道は考えてもいなかったという。
その後、社会人野球日本選手権で準優勝に貢献したことで10球団から指名が届くに至る。それでも迷う辻の背中を押したのは、妻の「本当に後悔しない?」の一言だった。25歳でプロ入りを決断し、西武の2位指名で入団する。
プロ入り後の辻にとって、広岡達朗監督はまさに野球人生を変えた恩師だった。1年目からアメリカ・メサのキャンプに同行し、徹底的に守備を仕込まれた辻。「けちょんけちょんに言われますけど、それが嬉しかった」と、叱責さえも財産になった過去を振り返った。
広岡から褒められることは滅多になかったが、ゲッツー練習でバックトスを見せた際の「ほほぉー」だけは鮮明に覚えているとのこと。「誰でもひとつは取り柄があるんだな」という広岡らしい言葉に、徳光も「最高の褒め言葉じゃないですか」と笑顔で応じる。
広岡は打撃指導も的確だった。「バットを短く持て。お前はインコースに強いから、ベースにくっついて全部引っ張れ」…そのアドバイスを実践した試合で、辻は三塁線への二塁打を立て続けに放ち、打撃の才能が開花。2年目には110試合出場・打率.275をマークした。広岡の指導もさることながら、しっかり指導に食らいついていった辻の素直さも光るエピソードだ。
番組ではこだわりの“辻とじ”グラブも披露。捕球の間口を広げることで素早い送球ができるようになっている。またグラブのサイズも小さく、実際に辻が手をはめると手のひらの一部がグラブからはみ出るほどコンパクト。遠藤は「浅いですよね。あまり奥まで入れないんですね。取れちゃいそうなくらい」と目を丸くするのだった。
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