
1月30日から公開中の映画「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女」が公開5日間で興行収入10億円を突破し話題を集めている。その原作小説となったのは、1989年~1990年に上梓された富野由悠季による小説「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」だ。同作は角川文庫に書き下ろしされた小説。「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のその後を描いた作品としてガンダムファンから大きな反響を呼んだ。WEBザテレビジョンでは当時、富野番(担当)として本作の誕生に深く携わった元KADOKAWAの編集者・井上伸一郎氏にインタビューを実施。「閃光のハサウェイ」誕生の舞台裏をはじめ、富野の創作活動について語ってもらった。
井上伸一郎(いのうえしんいちろう)
カドカワ(現KADOKAWA)元副社長、現・合同会社ENJYU代表。一般社団法人アニメツーリズム協会プロデューサー、ZEN大学客員教授、など、現在もアニメ・マンガ業界で活躍中。近著に「メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史」(星海社)など。YouTubeチャンネル「愛♥Anime-Japan」で日本のアニメ文化を世界に発信している。
小説の始まりは“富野マニア”である井上氏のファンとしての欲望から

――「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988)の公開から一年後、小説「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」が刊行されました。どのような経緯があって、富野さんは執筆されたのでしょうか?
まず、1988年頃の状況です。今のガンダムシリーズの広がりからは信じられないでしょうが、「逆襲のシャア」の公開前、「ガンダム」はこれで終わりにするという雰囲気がありました。本編は一旦ここで閉じて、子どもに人気の「SDガンダム」にシフトしていこうというムードです。結局「逆襲のシャア」が興行的に成功を収めたことでガンダムシリーズは継続しましたが、「逆襲のシャア」公開後の私は、富野さんの「ガンダム」はもう見られないのか…と、寂しい気持ちになっていました。
富野さんは当時、「月刊ニュータイプ」で小説「ガイア・ギア」を連載されていて、これも宇宙世紀と遠い地続きの作品ではありましたが、「逆襲のシャア」を見た後だと、やはりその続きが気になる。13歳のハサウェイがあれだけのことをしておいて、その後どんな人間になるんだろうということに興味がありました。であれば、「ハサウェイが主人公の小説を書いてもらおう!」と。完全に私のファンとしての欲望から始まった企画ですね(笑)。それは多くのファンにとっても同様だったと思います。
――富野さんは「逆襲のシャア」の後、アニメ制作ではなく作家にシフトしていく考えをお持ちだったのですか?
そこはどうでしょうね。ただ、次のアニメ企画は決定していなかったと思います。一方で「ガイア・ギア」は毎月の連載で、他に他社でも書いておられましたし、小説を一生懸命書いていこうというモードになっていたとは思います。富野さんとしては、「機動戦士ガンダム」の頃から小説家として評価してもらいたいという願望が強かったのではと思います。一つの要因として、「ガンダムはSFなのか?」とアニメ雑誌上でSFアニメ論争が起こったというのがあります。それもあり、SF作家として認められたいという思いが強く、小説にはかなりこだわりがあったのではないかと思います。
――井上さんは、富野さんにアニメ監督というより、作家として接していたわけですか?
両方です。アニメ監督としての富野さんにもインタビューするし、作家の富野さんに執筆依頼もしていました。富野さんはアニメと小説の使い分けをしっかり考えていたんですよ。「機動戦士ガンダム」の直後に自分でそれの小説を書いていますが、内容はテレビアニメではできないような話。なにしろ途中で主人公(アムロ・レイ)が戦死してしまいますからね。
――セイラとのあのシーンもテレビでは絶対にできませんね。
テレビを見て、それから小説を読んだ人は衝撃を受けたんじゃないですか。アムロが死に、シャアとホワイトベースのクルーが共闘するという全く違う展開。富野さんは、当時から小説ではテレビでできないものを書きたい。同じ作品でも小説独自のものとして完成させたいという思いを強く持っていたと思います。
当時のガンダム“熱”は?「機動戦士ガンダム」は人気が無かった説は大きな誤解
――当時は「ガンダム」が閉じられる雰囲気だったとおっしゃいましたが、アニメの人気はなかったのでしょうか?
人気はあったし、ファンの熱量も高かったですよ。これ、初回放送が打ち切りになったせいで誤解されていて、アニメ評論家の氷川竜介さんも色々なところで話していますが、初回放送時に人気がなかったというのは全くのウソです。特に大学生を中心に、女性ファンもたくさんいましたし、人気は高かったんですよ。だからこそ、「ガンダム」を発端にアニメ雑誌の部数が伸びたわけで。SNSがある今と違ってファンの熱量が可視化されにくい時代でしたが、一方でテレビ局に届くハガキは非常に多かった。反響の大きさからすぐに再放送もされましたしね。
最初こそ視聴率が振るわなかったというのはありますが、新しいムーブメントができるときはそういうものですよ。それに、初回放送は名古屋テレビを中心とした名古屋ローカル発(テレビ朝日系列ほかで時間が異なり放送)だったので、映る地域が少なかったんですよね。全国的に波及したのは再放送からで、それが初回は人気がなかったという誤解に繋がっているんだと思います。
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