日本映画界を代表する映画監督であり、与えた影響は広く海外にも及ぶ巨匠・黒澤明。ことしは彼の生誕100年にあたり、さまざまな記念イベントが開かれているが、CS放送の日本映画専門チャンネルでも、黒澤の監督作29本を1年かけてすべてハイビジョン放送する「監督 黒澤明の仕事」という特集企画を5月からスタートさせる。
それにあわせ、同チャンネルでは黒澤映画好きで知られる各界の著名人を毎月ゲストに招き、黒澤作品の魅力について語ってもらう番組「メモリーズ ―我が心の黒澤明―」も放送する。1回目のゲストである脚本家の山田太一氏に、黒澤映画とのかかわりについて話を聞いた。
―――山田さんは脚本家になる以前、松竹に在籍し、当時黒澤明のライバルとされていた、「二十四の瞳」('54年)などを手掛けた木下惠介監督の下で働いていらっしゃいます。黒澤映画がお好きというのは意外でした。
当時は木下、黒澤というのは並び称されていたんです。学生のころは黒澤さんの映画が好きだったけど、会社に入ったら好きだと言えない。黒澤さんについては禁句というか…(笑)。木下さんのところを離れてライターになっても、木下さんがお亡くなりになるまでつきあいはありましたから、それまでは対外的に黒澤さんが好きだと言ったことはないと思います。
―――学生のころに見た黒澤作品で思い出深いものはありますか?
「醉いどれ天使」('48年)で黒澤さんの映画を初めて素晴らしいと思いました。その後「野良犬」('49年)を見て、映画にも感嘆したけど脚本が素晴らしい、と。脚本を買って、暗記するぐらい何度も読み返しました。勉強じゃなく、楽しみとして。今みたいにビデオテープがあるわけではないし、作品を思い出すよすがは脚本しかない。同じ作品をDVDで何回も見るようなものでね。
―――「七人の侍」('54年)を以前あるところでベストテンに挙げていらっしゃいましたね。
日本映画の今までの過去のベストテンを入れたら必ず入るでしょう。誰が見ても面白い。キャラクターはしっかり書き分けてあって、プロの仕事ですよね。ただ、黒澤さんの映画には“強いということは美しい”という美意識がある。どの映画を見ても強い人が美しく、悪いやつは最後に負ける。「七人の侍」でも、山賊たちはただひどいやつで、農民は頭が良くなくてこっけいな存在だと描かれています。そういうところは僕の師匠であった木下惠介さんとはまったく逆なのね。木下さんは強いものが美しいなんて映画は1本も作ってない(笑)。「七人の侍」が当たったのは、やっぱりアメリカの西部劇なんかの影響がある。それと20世紀の真ん中あたりというのは、強いやつが美しかった。戦争やったり、食べ物がないときに食べ物を獲得してくる人は強い人で、弱い人は役に立たないやつだっていうときだから。「七人の侍」の物語の最後に、「本当に勝ったのは農民だ」って言いますね。でも映画見た人は農民が勝ったなんて誰も思いませんよ。やっぱり侍がかっこよくて強かったなっていうのだけが残りますよ。タイトルも「七人の侍」だもん。
―――強い人が美しいという黒澤映画の美意識と山田さんが書かれてきた作品は相容れないと思うんですが…。
僕は弱いからね(笑)。
―――でも、「七人の侍」は単純に面白い?
突出していい作品ですよ。だって何回も見てるもん。雨の戦いの場面なんて、あんなもの今誰が撮れるでしょうか? すごいですよね。撮影はどんどん予算オーバーして、締め切りは後になっていく。今ならCGである程度カバーできちゃうから、あんなにがんばらない。あの時代にあの規模でああいうものを作ったというのが素晴らしい。
―――ほかの黒澤作品についてはいかがでしょうか?
「醉いどれ天使」だったと思うけど、助監督の僕がやっちゃいけないと言われていた演出をしていました。それは助監督の中でも話題になったりして。そういういろんな試みをしていることも黒澤さんの素晴らしさだと思います。「夢」('90年)のトンネルから兵隊が出てくるところの撮り方とか、部分的には晩年まですごく光るところがありましたね。
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