長瀬:僕らは23年間バンドでやってきましたから、やはり一つの音がなくなってしまうということは…そういうことなんだと思います。TOKIOの楽曲は彼の演奏する音がないと全く形にはならないので、今そういう状況でそれからのことはこれから4人でまたゆっくりと話し合いながら、やっていこうと持っています。
国分:去年から25周年に向けて5人で話し合ってきました。最近僕らはツアーとかもなくファンの皆さんも楽しみにしていたと思います。その25年に向けてアルバム制作、この時期にやりましょう…いろんなことを考えてきましたが、今はすべて白紙にして。とりあえずは音楽活動を考えるのをやめて、向き合えることに今は向き合っていきたいと思っています。
城島:もともとTOKIOというのは1988か89年くらいに山口達也と私、城島が出会いまして。それぞれギターとベースをやっていたこともあって、バンドをやろうじゃないかと。そこからメンバーが集まってきて、バンドをみんなで原宿の小さいスタジオを自分たちで取って、ああでもないこうでもないと言ってやっていた時代がありました。
そんなこんなで、その頃はまだデビューもしてませんし、TOKIOという名前も社長からいただいていたのですが、まだ仕事もそんな何もない時代からそんなことをやっていたので、音楽がベースにあるのは間違いないと思うのですが。そこからバラエティーや役者のお仕事をいただけるまでになりました。ありがたいです。今回こういうことになりまして、音楽活動は白紙だと。正直断腸の思いです。しかしそんなことは言ってられません。被害者の方とご家族の方に対しての思いと、どうしていくべきかと向かっていかなくてはいけないので。そんなことは言っていられません。きちんとTOKIOとして果たすべきことを、やるべきことをやっていくしかないなと思っています。
松岡:一番ファンの方々もそこを気にしていたと思います。その声も実は僕らにもちゃんと届いていましたし。だからこそ去年からアルバムの制作、そして25周年のライブ、考えていました。喜んでもらおうと思って…色々考えてました。本当に申し訳ないです。…はい。
城島:今回メンバーでこの謝罪会見をすること自体が、被害者のご家族の方から「そっとしておいてあげてほしい」という部分もあったので、これがふさわしい会見なのかと、私たちの中で葛藤がありました。しかし、連帯責任という面も含めまして、きちんとTOKIOとしてメンバー全員でここは謝罪すべきだという思いがありましたので、お時間をいただいたことをご了承ください。
そして今、見ていらっしゃるかもしれませんが、どうやって向き合っていくかという部分におきましては、謝罪の念というのは実際に謝りに行くのかどうなのかという面も含めまして、今後メンバー全員で、具体的にどうするかというのも話し合っていかなきゃいけないなと思っております。それがむしろ逆に迷惑になるということも、それもよくないことでしょうし。
まずはとにかく事態がおおよそわかったのが30日、全員集まったのが30日月曜夜ということだったので、まずはとにかく会見を開かせていただきたいと会社にお願いしまして、こういう状況です。
本当にちょっとずつでも…時間がかかって申し訳ないですが、後手後手に回っている感じがあります。本当に申し訳ないと思っています。自分らの中でできる精一杯のことをキチっとやっていきたいと思っていますので、具体的なことについては今後考えていきたいと思います。
最後にマイクなしで城島が「本当に申し訳ございませんでした」と全員で13秒ほど頭を下げて退場。