席亭・毒蝮三太夫に聞く、ナイツ、春風亭一之輔、神田松之丞が集う寄席の魅力

2018/09/01 10:09 配信

芸能一般

「マムちゃん寄席」席亭を務める毒蝮三太夫撮影=阿部岳人

俳優、ラジオパーソナリティーの毒蝮三太夫が席亭を務める芸能イベント「マムちゃん寄席」の開催が、8月31日放送のTBSラジオ「たまむすび」内の「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」で発表された。

「マムちゃん寄席」は、2010年から番外編を含めると20回近く開催されている人気イベント。名立たる芸人が出演することで毎回注目を集めている。

「第十五回マムちゃん寄席」も、漫才・ナイツ、落語・春風亭一之輔、講談・神田松之丞、漫談・松元ヒロ、紙切・林家二楽、玉袋筋太郎とそうそうたる顔ぶれ。同日開催の第二部ではラジオパーソナリティーとして毒蝮三太夫と双璧をなす、大沢悠里との対談が組まれており、第一部も第二部もチケットは争奪戦になりそうだ。

今もなお「ミュージックプレゼント」中継で各地を走り回り、老若男女を引きつけてやまない毒蝮三太夫に、「マムちゃん寄席」の思い出と、第15回への意気込みを聞いた。

――これまでの「マムちゃん寄席」で印象に残っていることを教えてください。

そりゃあ、なんといっても永六輔さんが亡くなったことだろうね。永六輔という名がいかに大きいか。俺があってじゃなくて、永さんあっての「マムちゃん寄席」だったと思うんだよ。

最初に立ち上げた頃に、永さんと音楽イベントのようなものをやった。お金かかっちゃってね。音楽バンドが入って、打ち合わせ、舞台、照明の準備、いろいろと大変で。寄席なら打ち合わせもなくできるだろう、というのが発端。発起人が「マムちゃん寄席」って名前を付けてくれて、永さんに彼が話をしたら、永さん二つ返事で「やろうよ」と言ってくれた。

永さんがあっての「マムちゃん寄席」だったから、永さんがいない寄席、今後が本当の勝負になるね。

――各回での思い出を聞かせてください。

第一回は浦和でやった。2月で雪が降ってきちゃってね。終演後は雪。お客さん1000人以上いたから、帰宅が大丈夫かなって心配したね。1000人くらい来てくれたんだよ。

それと、8年前(第三回)、群馬での寄席。文枝さん(当時は桂三枝)が出てくれたんだ。はぶ三太郎が一生懸命出演交渉してね。永さんをはじめ、出演メンバーが前橋で公演したこことはなかったはず。文枝さんも初めての前橋。前橋の興行社(芸能プロダクション)も驚いていたよ、本当に来るのかって。

最高齢、桂米丸さんも出たよね(第二回)。今は逆に「マムちゃん寄席に出してくれよ」っていう声も出るようになって、ありがたいね。

今、振り返ってみると、立川談志が出てないんだよね。2011年に亡くなって。談志が出なかったっていうのが、今になると悔いが残るね。談志が元気な時に談志の高座をラジオのファンに見せてあげたかった。

――長く続いている「マムちゃん寄席」の魅力をどうお考えですか?

俺もこんなに続くと思わなかったよ、15回も。元来の寄席っていうのは、いろんな人が出ていい興行だと思うんだよ。落語会だと落語ばっかり並ぶし、コントライブはコントだけになっちゃう。ごちゃごちゃ、バイキング、寄せ鍋みたいでいい。落語があって、漫才もあって、紙切もある。講談とか、浪花節とか。闇鍋みたいに何が出てくるか分からないというのがいいんですよ。

「マムちゃん寄席」は、新聞広告、社内広告、テレビ広告一切やってないんだよ。ラジオだけ。それでもお客さんは来てくれる。それが誇りだったところもある。こうして取材を受けるの初めてじゃない? おたく、余計なことしてくれたね(笑)。