――俳優と落語家の違いや共感を覚える部分はありましたか?
人それぞれやりようがあって自由だったりする部分は、芝居の世界も同じなのかなとは思うんですけれど、でも僕ら役者は監督がいて、その監督がイメージする中で芝居をやっていく。
落語家っていうのはそういう人間が居ない中でやっていますので、自分の芸を自分で判断しながらやっていかないといけない、それを高めていかないといけないっていうことは、役者よりも孤独なのかなと思いました。
八雲みたいに芸を磨いて、なにか一つのことで突き抜けるというのは、それと同様の孤独も付いてくるのかなと。八雲にはそういう孤独を感じられます。
でもきっと、何かを捨てるというか、そういうことをしないと、一つの時代を築いたり、一つの大きなものを動かしていく人間にはなれないのかなって思ったりするので、同じ芸の世界の職業に就いている身としては、とても感慨深いものを感じながら演じています。
――この作品の要素の一つに、落語への思い入れから来る「嫉妬」があると思うのですが、竜星さん自身も俳優として、嫉妬に駆られるような瞬間はあるのでしょうか?
役者に限らず、どの職業もきっとそういうものだと思うんです。人言えぬジレンマみたいなものをみんな抱えてるだろうし。
でも結局、最終的には自分との戦いみたいなところに行き着くのかなと。僕は今そういう感覚でいるので、そこからがスタートなのかな。
落語の世界も、師匠たちからいろいろなことを教わって、いろいろなやりかたを覚えて、でも結局自分の落語を見つけて、初めてその人の芸が地に足着いていくというか。
だから僕自身もきっとそうなのかなと思いますし、結局、他の人と勝負しても仕方がないというか。それよりも、自分と戦い自分をいかに見せて、自分の限界を超えてゆけるか、ということなのかなと。
もちろん若い時は絶対、嫉妬のような思いがないと駄目だと思います。負けず嫌いのそういう部分を自分との戦いに使えば使うほど、きっと魅力ある人になっていくのかなと。そうして自分の芸を磨いていけて、きっとそれが評価に値するのかなと思いますね。
――これまでの役者業を通して、そういう考えが芽生えてきたんでしょうか。
作品の仕事だけではなく、海外に行っていろいろな仕事をしたり、そういう経験から人と比べてもしょうがないってことを、この1、2年とかで気付けたかなとは思います。
――最後に、落語がとっつきにくいと感じている人もドラマを見たくなるようなメッセージをお願いします。
僕も今まで25年間落語に触れずに生きてきて、どこか落語にとっつきにくさを感じていたのですが、こういうきっかけで落語を知るようになり、とても好きになりました。
特にこのドラマは、落語がテーマではあるんだけれども、それ以上に落語に触れている人だったり、その周りで支えている人たちだったりっていう人間ドラマがありますので、そういうものを見ているうちに、きっと皆さんに落語を好きになってもらえるような作品だと思います。
しかもいろいろな落語家たちがいて、同じ演目を他の人がやっていたりすると人によって全然違うんです。
こういう面白さがあるんだって新しい発見もしながら、全話終わる頃には、寄席に行くぐらいに好きなるんじゃないかなって。そうなったら僕らの勝ちかなって(笑)。
そして与太郎の成長も、最後まで見守ってもらえたらうれしいなと思います。
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