――台本では、“正義のヒロイン”となった範子の笑顔も印象的に描かれていますね。
(芝居をする際には)“範子の存在証明”というつもりでその瞬間を味わっています。
でも、範子が友人たちから受け取る「ありがとう」という感謝に対しての笑顔ではなくて、「ね? 私が正しかったでしょ?」という自分の正しさが証明されたという喜びで天にも昇る気持ちというか、感謝されるたびにパワーアップしていくような、そんなつもりで演じています。
――範子はいつも自分に自信を持っているということですか?
初めはそう思っていました。そして、その自信は何があろうと絶対に揺らぐことはない、とも信じていたのですが…。
撮影が進むにつれて、もしかしたら、いつもいつも絶対的な自信を持っているわけではないのかも、と考えるようになりました。物語では、ふと思案するような場面も出てきます。
でも、人間らしい感情をそのまま受け入れてしまうと、範子が範子でなくなるというか。矛盾だらけの“人間味”は、法的正義に沿って「自分」というものを形作ってきた範子にとって、「自分」の崩壊につながりかねない恐ろしいものだと思うんです。
友人たちに自身の正義を押し付けるのは、自己肯定だったり、防御という意味もあるんじゃないかな、なんて思ったり。
――範子自身がそれを自覚することはありますか?
揺らぐ瞬間は、何度かありました。
目の前の相手に正義を問うているようで、実は、「私は正しい、何一つ間違っていない」という自己点検でもあったりするのかもしれない。
そして、スープ(※第2話で登場)は、不安を払拭(ふっしょく)するためのものだったりするのかなって。
スープには、理解できない、受け入れられない、自分の中で消化しきれなかったいろいろを吐き出して、ぐつぐつ煮込んで溶かしているんだって。それで心の整理を付けているんじゃないかなと思っています。
――範子やその友人たちのような女子グループは、実際にいそうだなと感じました。
だからこそ、それぞれの目線で見ていただけたら。
女性ならではの何とも言えないざわざわ感を楽しんでいただきながら、登場人物たちの「正義」もしっかりお伝えしなければと、思っています。
それぞれの人間の中にはそれぞれの正義があって、どの正義が正しいかなんて、状況次第で変化します。その人の状態、背景にあるもので見えるものが変わってくるし、立場が変われば捉え方も変わってくる。
だから正義なんてたくさんあって良くて、それが自然だと思うんです。正義って、その人を作る核で心臓のようなものだと思うから。
ただ、社会の中で共存していく時に、みんながみんな自分の正義を主張して譲らなかったら、当然争いは起きるよね、じゃあそうならないためにはどうすればいい? っていうところまで広く訴えているのかなって。
見事に個性がバラバラのキャスト陣を見ても、多様性ということが一つのテーマでもあると考えています。
まさに、“ミラードラマ”という言葉がぴったりですよね! どこから見るのか、誰に共感し、何を嫌悪するのか…自身の状態や状況で目線が変わって、捉え方も変わってくる。自分の“正体”が明らかになる、そんなドラマだと思います。
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