勘九郎さんの表情と、四三の登場には、ちょっと鳥肌が立ちました
――永井は日本のオリンピック参加には反対を主張していましたが、そこからの心境の変化を、どのように演じられたんでしょうか。
永井はただ反対しているわけではなく、当時の日本人の体格、体力、技術などを含めて見て「無理ですよ」と言っているんですよね。
永井自身が、(海外で)「スウェーデン体操」を習ってきて、ロンドンオリンピックも現地で見てきて。、当時、マラソンの走法や、体の鍛え方は、西洋に比べてまだまだ確立されていなかったですし、マラソンは一歩間違えたら危険なスポーツということを重々分かっている人なんです。
永井が羽田の予選会(2月3日放送第5回)のときに言っていた「死人が出るぞ」っていう言葉は、大げさにも聞こえるかもしれませんが、オリンピックを見てきたからこそ出てきた言葉だったと思うんです。
その気持ちの変化のきっかけは、やっぱり四三の登場だと思います。
羽田の予選会で、(世界記録を大幅に更新する)あれだけのタイムが出たことで、「参加できるんじゃないか」と、可能性は十分あることを永井も確信したんじゃないでしょうか。
――永井から見て、四三はどんな存在だったと思いますか?
そういう描写はありませんが、かわいがっていたと思います。愛情があるゆえの厳しさというか。
僕も放送を見ていて、羽田の予選会のシーンで勘九郎さんが隈取のような姿で登場したとき、笑っちゃいましたけど、感動もしました。
他にもたくさんありますけど、あのシーンは忘れられないですね。勘九郎さんの表情と、四三の登場には、ちょっと鳥肌が立ちました。
――ストックホルムから帰国した四三に、オリンピックの敗因を問い詰めるシーンがありますが、その撮影はどのような気持ちになりましたか?
やっぱり時期尚早だったのかなっていう悔しい思いですね。まだ未熟だったのか日本人はと。
そもそも、永井がスウェーデン体操や肋木を推奨してたのは、海外のスポーツの現場を見てきて、日本人の体力が西洋人にくらべて劣っている、という意識があったからだと思います。
――四三の登場が永井にとって衝撃だったというお話もありましたが、演じている勘九郎さんの印象はいかがですか?
もうね、ミスターストイックマンです。僕はミスター肋木(ろくぼく)なんですけど(笑)。
この間も、撮影前にジムに行って筋トレとかをして、撮影終わってからジムに行ったって話していて、体作りに余念がないんですよ。
実際、撮影でもほとんど走ってますし、それだけでも大変なことだと思うんですけど、トレーニングだけではなく、もちろん芝居も…どこからどう見ても360°四三さんになってて。
役作りというか、もう乗り移っちゃってる感じがします。四三さんなのか勘九郎さんなのか分からないような、そこに至ることは相当なすごいことだと思うので、ミスターストイックマンと呼ばせてもらってます(笑)。
――体操器具の「肋木」を広めた人物として知られている永井を演じる上で、杉本さんも体作りをされたんでしょうか?
肋木って、けっこう体の柔らかさが必要なんですよ。僕は体硬いんでね、柔軟とかストレッチとかは、一応クランクインする前にやっていきました。
でも、肋木の指導はしてますけど、永井さん自身が実践して見せてるシーンって実はそんなになかったんですよ。
ところがある日、東京高師の食堂のシーンの撮影で、一木正恵さんっていう監督に、現場でいきなり「哲太さん、ここはちょっと肋木に足とかかけて体幹を鍛えながら…的な感じでやりましょう」って言われて。
「そんな突然言われても」って驚きましたよ。大変なことなんです。肋木って地味に見えるけど難しいんです。ぶら下がってるだけでも、自重で手が痛くなって、30秒もぶら下がっていられない。
事前に言っていただいてたら、それなりの準備もできたんですけど、なんとかやりました(笑)。
――肋木には苦労されたんですね。今回の撮影で、他にも苦労されたことはありましたか?
僕は左利きなんですけど、永井は右利きなんです。
永井が、学生時代に“テニスボーイ”だったときの回想シーンの撮影のときは、「左でやらせてもらえませんか?」って小さな声で聞いたら「ダメです」と…。
「CGとか使って反転させて、左で打ってるけど右で打ってるふうな感じにしたらどうですか?」って聞いても「ダメです」って…。
僕、右はまったく使えないので、書くのもおはしも全部左なんです。(大河ドラマ)「龍馬伝」(2010年)に出演したときも、坂本家でご飯食べてるシーンが多くて。だから右で練習しなきゃと思って、あずきを買ってきて、小皿を二つ用意してつまんで移していくっていう地味な練習をしていたんです。
ところが、食べるシーンでは「つまむ」ものって出てこないんですよね。ほとんど魚とか、練習した動きとは違ったので、役に立たなかったです(笑)。