「自分の唯一の救いであり、お客さんたちの救いでもあるということを見いだしたんじゃないかな」
――戦時中の落語というのは、今の「笑いを求めに来る人たちの落語」とは違うのかなと思うのですが、七之助さんはどのようにお考えでしょうか?
どうなんですかね。戦争とは違いますが、例えば東日本大震災の時に僕も兄も公演を行いながらも「こんな時に芝居なんかしてていいのか」って純粋に思いました。娯楽ですから無くてもいいものだし、「節電」と言っている中で煌々と照明を焚いていいのかよ、って思っていました。
でも被災地の方で公演をすると、お客さんのパワーがすごくて…。「待ってました!」みたいな感じで見てくれて、逆に僕らが勇気づけられた思い出があります。
志ん生さんも圓生さんも戦争を体験した“当事者”だから僕たちと状況は違うかもしれないけれど、彼らは高座に上がることでアイデンティティーや生きる意味を持ったんだろうし、ここでこの暗い人たちを盛り上げることが自分の唯一の救いであり、お客さんたちの救いでもあるということを見いだしたんじゃないかなと。想像ですが、同じ“芸人”として、僕だったらそうだろなと思います。
――作中で描かれている時代がどんどん現代に近づきその時代を知っている人も増えてくると思いますが、そういった時代を演じる中で意識されていることはありますか?
例えば圓生さんは音源が残っていますもんね。「まねをしなくちゃいけない」とかそういったプレッシャーは特にないんですけど、第2次世界大戦とかの撮影をしているとすごいなとは思いますね。
満州の街のエキストラの方が中国人なんです。日本人の僕が、当時の日本統治下の中国に行っているドラマを撮っているってちょっとゾッとするというか、すごいことしているなと。
だって、彼らのおじいちゃん、おばあちゃんが日本人に殺されている可能性もあるわけじゃないですか。なかなか難しい時代ですが、娯楽ドラマですし宮藤さんはそういった部分をうまく脚本で表現されているので、恐る恐る演じるということはありません。
もちろん「昔はこんなんじゃない」とかあるとは思うのですが、それはそれとして楽しんでいただける作品だなと脚本を読んで感じたので、演じる上で意識はあまりしていないです。