映画「ゆれる」、「さよなら渓谷」、「そして父になる」ではさまざまな賞を受賞し、フジテレビ「最高の離婚」「SP」など多くのヒットドラマに出演。女優として順調にキャリアを積み重ねてきた真木だが、20代前半から半ばは日々もがき葛藤していたという。
「大根(仁)さんに見つけてもらい、2008年に『週刊真木よう子』※をやらせていただいた頃、いわゆる“ザ若者の悩み”みたいな感じで、自分が考える“真木よう子”と、世間に求められる“真木よう子”に開きがあって。私はそんなにクールではないし、強くもない。世間とのイメージのギャップに悩んでいました」(※真木よう子が主演を務めたオムニバス連続ドラマ。テレビ東京ほかで放送)
知名度が徐々に上がりはじめ、芝居以外にやらなければならないことが増えたことも、葛藤に拍車をかけた。
「『お芝居が好き』という純粋な気持ちでこの業界に入ったはずなのに、自分の思い描いたものと違い、なんとも言えない感情があって。当時は責任感が弱かったので、『やだ。もう辞めたい』という思いが大きくなり、頑張ろうともしない最悪な時期でした。ただのわがままですよね。今考えると、責任があるのとないのではこんなに違うのかと思うくらい、気持ちが弱っていました」
そんな葛藤していた日々を乗り越えるきっかけになった転機が、26歳での出産だった。
「否が応でも“生かしていかなければならない命”が誕生したことによって、『お仕事を頑張ろう』という気持ちが芽生えて。そこからいろんなものが変わってきた気がします。『娘のために頑張るのか?いやそれは違う』と悩み、そこで出た答えが『お芝居を好きになろう』と、そういう原点に自分を戻せて。ずっと女優をやってきたし、よく考えたらこれでしか食べていけない。成長せざるを得ない機会を娘が与えてくれたんだと思います」
その後は大河ドラマ「龍馬伝」(NHK総合)をはじめ、さまざまなヒット作に恵まれ、女優として再び花開いていく。
「仕事に対する意識が変わったあと、入ってくるお仕事がほんとに良い作品ばかりで、すごく恵まれていました。神様がいて『この子を育てるためにちゃんと頑張りなさい』と言われていたのかもと感じるくらい、ありがたいことに名前を知っていただけるような作品やCMが決まり、多くのステキなチームに参加させてもらえて。成長できた時期だと思います」