学生時代の集団生活と葛藤が映画作りの現場で生きる
――さまざまな役を、ごく自然な存在感で演じられる井之脇さんですが、現場ではどのようなポジションでいることが多いですか?
集団に入るとあまりしゃべれないというか、人の話を聞くのが好きなんです。もちろん自分の意見も端的に伝えはしますけど、監督や共演者、その場にいる人の思っていることを聞きたい。そこに自分の芝居のヒントがないかずっと探している感じです。
――いつ頃からそのスタンスに?
学生の頃から「率先してみんなをまとめる!」というタイプではなかったので、基本的には一歩引いて、輪の中にいるけど群れはしない感じでした。
さらに自分の意見も言わなかったので、そのつもりはないのに「協調性がない」と…言われてしまったのがトラウマというか転機になったというか(笑)。そこから自分の意見を端的に述べるようにしています。
――それは今の仕事にも生きる大きな“気付き”ですね。
そうですね。映画の現場で特に感じたのですが、やっぱり人と何か作業するのはすごく楽しいな、夢があるなって。1人で考えるのも好きですけど、おのおのの考えがぶつかりあったとき、その摩擦で生まれるものがたくさんあって。
人は集団の中で生活しないと生きられないし、その集団の中でどう存在するかは学生生活に一番学んだので、自分的には今、すごくいい距離感で皆さんとお話ができていると思います。
――その「集団の中で生活しないと生きられない」と気付いたのはいつ頃ですか?
えー、いつですかね。やっぱり仕事をしていく中で徐々に気付いたと思います。
12歳で「トウキョウソナタ」(2008年)という大きな作品に関われて、どこか勝手に自信を持って、ちょっと自分が勘違いしてしまった時期もあって。小学校中学校でちょっといじめられたときに気付いたんですかね。
浅かった未来予想図が、出会いによって現実的視点を持つまで
――子役から始まり14年、今、思い描いていた未来とはどれくらい違いますか?
デビュー当時に思い描いていた予想図だとしたら、全然違いますね。当時は映画のことを何も分かっていなかったから、今頃は海外で活躍してると思ってました(笑)。
何て言うんだろう、ゴールがあると思っていたんですよ。「ゴールと言えば海外だろ?」ってノリです。
でも今は「そもそもゴールなんてない」と気付きましたし、規模は違えど日本と海外も変わらないと思っているので、考え方も今いる場所も未来予想図とは違います。
――今に通じる未来予想図を描けるようになってきたのはいつ頃ですか?
現実を見据えられるようになったのは、高校生ぐらいですかね。その頃から大学に行くことも決めていましたし。
でも仕事もしたいから3年までに単位を取り終えようと決めて、実際取れたので4年生から環境を変えて本格的に仕事に取り組めるようになって。とにかく学業をちゃんとやりたいと思っていたので。
――その考えはどこから?
「トウキョウソナタ」の時、父親役だった香川(照之)さんに「普通の生活をしろ」とすごく言われたんですよ。僕、“香川信者”なのでその通りに動こうと思って(笑)。
芸能学校ではあったんですけど、普通の生活を中学・高校の6年間送れたのはすごく大きかったなって…もともと12歳のときに勘違いもしていましたし(笑)。
大学を含めて、ちゃんと学生生活を送れたことは僕にとってすごく大きかった。今の僕の大部分を形成する財産です。
――失ってから気付く「若い頃ちゃんと勉強しておけば…」的なことを、失う前に気付けていたわけですね(笑)。
もう本当に香川さんのおかげです。当時は役者だけやりたくて、下手したら「中学も行かなくていいや」くらい思ってましたから(笑)。
でも「トウキョウソナタ」でカンヌ映画祭に行かせていただいた時、なぜか母親が香川さんにずっと進路相談をしていて。
もともと家族ぐるみで仲良くなっていたんですけど、とにかく「学校に行け、普通の生活をしろ、役者なんていつでもできる」って断言してくださったのはありがたかったです。
――裏を返すと、それほど演じることにハマっていた、と。
それもやっぱり「トウキョウソナタ」が大きかったです。映像を通すとこうなるんだって衝撃を受けて、別の人物になれるという面白さを見いだして。単純に僕、小学生の頃に“なりたい職業”がいっぱいあったんですよ。
消防士にもなりたいし、税理士にもなりたいし…これは親父が冗談で「税理士になって俺の仕事を手伝え」って言ってたからなんですけど(笑)。役者をやればいろんな人になれるんだって気付いてすごくハマってしまった。逆に、映画を見始めるのは遅かったですね。