「エール」第2週はヒロイン視点で“女性主役の朝ドラ”ファンも考慮 主人公・裕一の出番は2話のみ
多様性を意識しつつ飽きさせない工夫
音の波乱万丈な幼少期に見入り、先週あんなに、裕一、鉄男(込江大牙)、久志(山口太幹)の3人の少年がいい!と熱く推していたにもかかわらず、彼らをすっかり忘れかかって金曜日を迎えたが、10回の最後に、「それから3年、裕一はというと……音楽に夢中で商業学校4年生を留年してしまいました」というナレーション(津田健次郎)と共に、成長して窪田正孝になった裕一が登場し、「エール」は作曲家・古関裕而がモデルの古山裕一が主人公であったと思い出した。
このように、夫と妻の幼少期をほぼ同じくらいの分量で描くことは変化球と思う。ふたりが幼馴染か何かで同じ地域に住んでいるのでもなく、福島と豊橋というかなり距離があり(豊橋は西日本に含まれないギリギリなあたり)、たまたま川俣に父の仕事で音が来ていなかったら会うこともなかった(4話)ふたりなのである。
古関裕而と妻・金子が実際、福島と豊橋出身であったからこその設定なのだが、接点のないふたりが同じ頃、福島と豊橋で各々、幼少期を過ごし、でも「音楽」というものに魅入られることだけは同じだったという運命はなかなかエモい。
違うところにいた人が出会うエモさは大河ドラマ「いだてん」(2019年放送※現在NHK BSプレミアムで再放送中)にもあった。ふたりの主人公は各々、熊本と静岡で生まれ育ち、さらには若干生きている時代も違っていたが、2つの時代を交互に描き、それがやがて接点を結ぶドラマだった。
また、3月に終了した昼の帯ドラマ「やすらぎの刻〜道」(テレビ朝日)も現代の話と劇中劇の、ふたつの話を交互に組み合わせていた。こういったデュアル方式で最も成功した例は、アニメーション映画「君の名は。」(2016年)だろう。
東京と飛騨、まったく接点のなかった少年と少女の意識と肉体が入れ替わってしまい、それぞれの生活を過ごしながら連絡を取り合う。いつかふたりは出会うときがあるのか……と思わせて……。ひじょうに優れた構成の作品だった。
ちなみに、梅の子役の新津ちせは「君の名は。」の監督・新海誠の娘で、狙っているとしか思えない。
「君の名は。」は2時間弱の映画なので、少年のターン、少女のターンと変化しつつも一気に観ることができるが、連続ドラマは1話ごとに時間が空いてしまうので、1週間目と2週間目の話が続いていないと混乱する視聴者もいそうだ。それでもあえて、こういうやり方にトライしたことには意味があるのだと感じる。
混乱する視聴者もいるが、こういう変化を好む視聴者もいるであろうということ。男性主人公の朝ドラにヒロイン視点の回を入れることで、オーソドックスな女性主人公の朝ドラを好む人のことも考慮すること。
福島だけでなく、ほかの地方(この場合、豊橋)を描くことで、ふたつの地域の支持を得ること……などなど利点もある。
裕一の山に対して、音は海。朝ドラではたいてい、お仏壇が出てくるが、音の家はキリスト教であることなど、多様性を意識することと同時に、飽きさせない工夫とも言える。
一方で、裕一パートと音パートが、少年3人(友達)と少女3人(姉妹)、家の没落危機、音楽に目覚めさせてくれる人物(森山直太朗と柴咲コウ)などきれいに相似形を成しているところもポイントで、ひじょうにコンセプチュアルなドラマなのである。
例えば「なつぞら」(2019年)では、北海道、お菓子、演劇、アニメ、イケメン、歴代朝ドラヒロイン……と視聴者の多様なニーズに応えようとしていた感があり、「エール」がその狙いを進化させてきているように感じる。
朝ドラは変わらないようで、じつはつねにアップデートし続けているのである。(文・木俣冬)