広島・旧陸軍被服支廠解体案をめぐり戦争遺構の意義と保存の現実を見つめる
「被爆建物にどう向き合うべきかを考える機会になれば」(上重P)
――まず、番組制作のきっかけと、制作意図をうかがえますか?
上重P:2019年12月、広島県が被爆建物である旧陸軍被服支廠の一部解体案を表明したことが番組制作のきっかけです。被服支廠は被爆後には救護所として使われ、多くの人が亡くなっていく様子を見届けた建物です。行政が活用策を検討していることは認識していましたが、「解体」という案は突如出てきた印象で、驚かされました。
原爆ドームをはじめ、広島では被爆建物の活用に取り組んでいます。建物は無言ながらも、二度と原爆を使用してはならないというメッセージを発信しています。被爆建物の力を知っている広島で、なぜ一部解体という判断がなされたのか、「平和行政の現実」を調べようと思いました。
情報公開請求で入手した資料には、広島県が国や広島市と協議をして判断を固めていく経緯が記されていました。資料を読んでいくと、行政の間にもさまざまな考えがあり、判断されるまでに生々しい意見が交わされていたことが分かりました。
被爆者の高齢化が進み、被爆の実相をどう継承していくか、残り時間はいよいよ少なくなっています。被爆建物の持つ意義と、行政側の判断を番組にすることで、今私たちが被爆建物にどう向き合うべきかを考える機会になればと思っています。
――取材においてのご苦労、感じられたことをお聞かせください。
山口D:広島県が2019年12月に解体案を公表して以降、連日ニュースとなっていたため、番組が計画される前から自然と取材は始まっていました。被爆から75年がたち、当時を知る人が少なくなっています。ご病気で話せないという方もいらっしゃいました。被爆という辛い体験を話してくださる姿勢に、あらためて伝える責任の大きさを感じました。
――旧陸軍被服支廠という被爆建物について教えていただけますか。
山口D:陸軍の軍服などを製造・貯蔵する施設として1913年に完成しました。外観に見える壁は赤レンガ造りですが、柱や梁(はり)などは鉄筋コンクリート造りの全国でも珍しい構造です。およそ100m×25m、高さ15mの倉庫が、国所有も含めると4棟残っています。
爆心地からは南東に約2.7kmの場所にあり、現存する被爆建物では最大級の規模です。原爆投下直後に救護所となり被爆した多くの人が押し寄せました。その中には命を落とした人も多くいて、建物の近くで遺体が火葬されたそうです。
当時は周辺に軍需施設が集まっていて、戦地に兵力や物資を送る軍需拠点となっていました。被爆の実相を伝えるだけでなく、軍都広島の面影を残す建物として保存を願う声が高まっています。しかし、保存には最大84億円もの費用を必要とする財政的な事情が課題となっています。
「揺れる平和都市 〜被服支廠は残るのか〜」
テレビ朝日は、8月1日(土)深夜4:30(8月2日[日]朝4:30)より放送
※広島ホームテレビでは、8月6日(木)朝9:55-10:25、同日深夜1:55-2:25に放送
全国のテレビ朝日系で放送・各局放送時間はこちらを参照⇒https://thetv.jp/program/0000972368/28/
ナレーター:冨田奈央子
制作局:広島ホームテレビ
担当プロデューサー:上重三四郎
担当ディレクター:山口和政