芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し45万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第4回目は、映画で遂に全貌が明らかになる『えんとつ町のプペル』が生まれたときの社会そして西野亮廣の状況、さらに「やりたいことをやる」ための環境を整えれば整えるほど浴びるバッシングとの葛藤を打ち明けます。
本題に入る前に「商品」と「作品」、そして「マーケティング」の意味(役割)をそれぞれ整理しておきたいと思います。
僕の中で、商品は「販売を目的として生産されたもの」で、作品は「作者の思想を具現化したもの」と位置づけています。マーケティングは「お客様に届ける作業」と言えますが、そこには「リサーチ」や「宣伝活動」など様々な仕事が含まれているので、少しややこしいですね。ここは「マーケティングが差し込まれているタイミング」で、「商品」と「作品」を分ければスッキリと整理できるかなぁと思っています。
つまり、「マーケティング(ニーズの調査)を済ませた後に生産されるものが『商品』」で、「生産された後にマーケティングによって届けられるものが『作品』」であると。いずれにしても、お客様に届かなければ意味がないので、「マーケティング」は必要不可欠です。その上で、僕は「作品」にしか興味がありません。
ニーズに合わせに行く生き方を選ぶのであれば、「ひな壇」に出ていました。ニーズに合わせに行く生き方を選ぶのあれば、僕は、絵本作家という道に進まず、あのままテレビの世界にいたと思います。
「今は○○が流行っているから、こういう物語を書こう」という考えは僕には一切ありません。僕は、流行り廃りなど関係なく、一貫して自分自身の物語しか書きません。僕は「特別な人間」ではなくて「少数派」です。なので、僕の物語を書けば、世界のどこかにいる僕と同じ境遇にいる人に刺さると信じています。そんなこんなで本題に入ります。
1990年代後半は「人類滅亡ブーム」でした。ノストラダムスという予言者が残した「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」という予言を、日本中が拡大解釈し、「核戦争が始まる」だの、「宇宙人が攻めてくる」だの。今となっては笑い話ですが、あの頃、僕らは1999年7月に世界の終わりがやってくることを少しだけ信じていました。
僕が子供の頃のテレビは、ゴールデンタイムで「心霊特番」や「UFO特番」がたくさんやっていて(徳川埋蔵金なんかもよく掘ってたな)、その夜は、幽霊に怯え、宇宙人の襲来に怯え、なかなか眠れませんでした。星がたくさん出た夜は、空を見上げて、飽きるまでUFOを探したものです。
そして、世界が終わるハズの1999年7月がやってきました。人類滅亡を信じ、絶望し、学校を休む人までいたみたいですが、世界は終わりませんでした。何事もなく8月になりました。
それでも僕らは世界の終わりをまだ信じていました。まったく懲りていません。誰かが「予言は外れていない。これは誤差だ」と言い出して、次に『2000年問題』という言葉が出回りました。「1999」から「2000」に変わる瞬間に、一から千までの全ての位の数字が変わってしまうことでコンピューターが誤作動を起こし、コンピュ―ター制御されている社会がパニックに陥るという都市伝説です。「間違って核ミサイルも発射されてしまう」と信じ、「今度こそ世界が終わる」と塞ぎこんでいる人もいました。梶原君はその一人(笑)。
ところが2000年になっても世界は終わりませんでした。僕らは、ついに観念し、ノストラダムスの大予言が外れたことを認めました。
時を同じくして、インターネットがやってきて、「答え合わせ」ができる世界になりました。おかげで、あれだけ心臓をバクバクさせて観ていた「心霊特番」や「UFO特番」も消え、まもなく僕らの身の回りは正解で溢れました。徳川埋蔵金が掘り起こされたどうかはネット検索すれば出てくるので、その手の特番もなくなりました。
ノストラダムスの大予言が外れたあの日、僕らは長い長い夢から覚めました。もしかすると、あの予言は当たっていたのかもしれません。一つの世界はたしかに終わりました。個人的には、嘘やデタラメが許されたあの世界が結構好きでした。
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