<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜「ファンとは何か?」【短期集中連載/第5回】

2020/09/21 17:30 配信

映画

映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)誕生の背景とそこに込めた想いを語る連載第5回


芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し45万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第5回目は、絵本第4作となる『えんとつ町のプペル』から西野が「分業制」を採った理由、そしてそのときに外野だけでなくそれまで応援してくれていた人達からも非難を受け、考えた「ファン」という存在について考えを明かします。

映画『えんとつ町のプペル』より。西野の製作総指揮のもと、国際的に高い評価を受けるアニメーション制作集団「スタジオ4℃」によって、また新しい世界観が紡ぎ出される


思いつかないかもしれない恐怖


『えんとつ町のプペル』のストーリーを書き上げたときの興奮を今も鮮明に覚えています。あれは嬉しかったな。こみ上げる興奮を今すぐ誰かに吐き出したくて、担当編集の袖山さんに電話。「もしもし、袖山さん。僕、大変なものを書いちゃいました」と自分で言ったのですから世話がありません。言われた袖山さんは何と返せば正解なのでしょうか。ごめんなさい。

ストーリー作りは、その多くが作者の頭の中で行われます。「手作業」は仕事の進みが目で確認できますが、「脳作業」はそうはいきません。ストーリーを丸一日考えて、何も出てこないことなんて日常茶飯事。はたして昨日よりも前に進んだのか、それとも、進んでいないのか。何も確認できません。「隣の芝は青く見える」とはよく言ったもので、時々、働いた量が「面積」で確認できる畑仕事を羨ましく思います。そんなヒョロヒョロ腕のオマエごときに畑仕事なんてできるものか。

アイデアを「降ってくるもの」と考えるのではなくて、「掘り起こすもの」と考えると、少しだけ気持ちがラクになります。「降ってくるもの」と考えてしまうと、「降ってこない」という可能性が生まれますが、「掘り起こすもの」と考えるとどうでしょう? 「今日は島の北側を掘ってみたけど出てこなかった」となれば、残すは「東側」「南側」「西側」のいずれかにアイデアが埋まっているので、「スカ」を重ねれば重ねるほど、アイデアが掘り起こされる確率が上がる…と思うことができます。はい。わかっています。

「何も掘り起こせなかった今日」を前向きに捉える為の言い訳です。とほほ。しかし、「脳仕事」は、こうでもして自分の気持ちを誤魔化し続けないと立っていられないのです。

筆が進まない夜は死神が現れて、僕の首元にそっと鎌の先を当ててきます。そこで「お前の才能は枯れた」と囁かれたら終わり。思いつくことが約束されていない恐怖にいつも怯えている。ストーリーが書きあがったときの嬉しさの正体は、完成した喜びというより、「何も思いつかなかったらどうしよう」という恐怖から解放された安堵なのだと思います。

分業制への挑戦


そうして書き上げたストーリーは、やっぱり一人でも多くの方に見つけてもらいたいものです。僕は覚悟を決め、あの忌々しい筆先0.03ミリのボールペンを握ります。「立派な絵を描けば、きっと『えんとつ町のプペル』を見つけてもらえる」。また、長い長いイラスト制作の日々が始まりました。

一ページを仕上げるのに費やす時間は1ヶ月ほど。0.03ミリのボールペンはとにかく仕事がノロマです。今日も作業部屋で一人。テレビをつけると、数年前に背中が見えなくなるまでブッちぎったハズの同期の芸人達が光り輝いていたので、静かにテレビを消しました。0.03ミリのボールペンを走らせると、ナイフで木の表面を削るような「カリカリ」という音が鳴ります。テレビを消すと、その音が悪目立ちするのですが、同期芸人の活躍を見ながら作業するよりマシです。

『えんとつ町のプペル』のイラスト制作をスタートさせてから数ヶ月が経ったある日。作業中に、ふと思いました。

「そういえば、どうして一人で絵を描いているのだろう?」

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