元少年Aは、なぜ「絶歌」を世に出したのか?

2015/07/19 10:00 配信

芸能一般

元少年Aの手により遺体の一部が置かれた中学校(’97年5月)(C)YTV

ことし6月、「絶歌」(太田出版)と題する手記が書店に並んだ。作者は“元少年A”。'97年に神戸市須磨区で起きた「神戸児童連続殺傷事件」の加害者だ。

当時14歳だった少年Aは現在32歳。10年前に少年院を退院し、社会復帰している。2年前から書きためていたという手記は、トータル294ページ。出版社は、少年少女の凶悪犯罪が多発する中だからこそ手記には社会的意義があるとコメントした。

しかし、事件でわが子を殺害された遺族らは、事前に知らされなかった突然の出版に大きな衝撃を受け、一人は「二度殺された」とつらい胸の内を語る。番組では、事件の遺族、少年院関係者、Aを知る人物とさまざまな立場の人への取材を通して、Aに静かに問いかける、「あなたは、なぜ手記を出したのですか?」と。

'97年神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件。一人はハンマーで殴られて死亡。別の一人は頭部を切断されその遺体は中学校の正門に置かれた。

加害者は当時14歳。自らを「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗り、殺人について「人間の壊れやすさを確かめる聖なる実験」だと表現した。

神戸家庭裁判所は性的な未熟さがサディズムにつながったとして医療少年院送致を決定。その後、Aは'05年1月に社会復帰した。

あれから10年…Aが出した手記「絶歌」には、事件を起こした心境や、社会復帰後の生活について詳細につづられている。手記は大きな話題を呼び、初版10万部が完売。さらに5万部増刷された。

その一方で、怒りに震える遺族たちがいる。ある一人は「以前からメディアに出すことはしてほしくないと伝えていたのに私たちの思いは完全に無視された。なぜこのように苦しめるのかまったく理解できない」と声を振り絞った。

別の一人も「何事にも順序というものがあり、本来なら当事者である私たちが最初に知るべき重要な事柄が間接的に知らされたことは非常に残念。自分の物語を自分の言葉で書きたかったのなら日記のような形で記し、自分の手元に残せば済む話だ」と憤る。

これまでAと遺族をつないでいたのは、年に1度届く手紙のみ。少しずつ、本心を書き始めていると遺族が感じ始めていた矢先の今回の手記出版だった。

事件から18年、少しずつ取り戻した“日常”は、一瞬にして崩れ去った。遺族にとって、今はAへの不信感と嫌悪感だけが残っている。手記はいったい誰のために、何のために出されたのか? 事件後、Aの更生を信じて手を差し伸べてきた関係者の声も交えながら検証する。

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