【テレビの開拓者たち / 福山晋司】「関ジャニ∞クロニクル」演出家が語る“震災以降のテレビバラエティー”
「関ジャニ∞クロニクル」(フジ系)で、総合演出を務める福山晋司氏。今や幅広い支持を集めるこの番組は、一体どのようにして作られているのか。ターニングポイントとなったという「ピカルの定理」(2010~2013年フジ系)の思い出も交えながら、彼が考える“テレビの笑い”について語ってもらった。
「ピカルの定理」はダウンタウンさんへの恩返しの気持ちもありました
――福山さんが一番最初に携わった番組は?
「最初は、深夜番組『WORLD DOWNTOWN』(2004年フジ系)のADです。フジテレビに入って、まずダウンタウンさんの番組を作っている班に配属されたんですよ。僕は生まれが三重で、大阪の文化で育った上に、ダウンタウンさんに多大な影響を受けた世代。いつかダウンタウンさんとお仕事できたらな、と思っていたので、希望通りのスタートラインに立ててうれしかったですね。その後『考えるヒト』(2004~2005年フジ系)にもついたんですが、ダウンタウンさんの深夜番組のシリーズがそこでいったんお休みになり、その流れで『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』(1994~2012年フジ系)や『人志松本のすべらない話』(フジ系)に参加して、のちにディレクターも務めさせてもらいました。
ですから、テレビマンとしての自分の根っこの部分を育ててくださったのは、間違いなくダウンタウンさんです。番組作りのイロハを教えていただきましたから。フジテレビは、バラエティー番組をスタッフとタレントさんが一緒になって作り上げるというスタイルを伝統的にやってきたテレビ局だと思うんですけど、タレントさんと番組や笑いを作り上げるとはどういうことなのか、それを教えていただいたのが、僕の場合は幸いにもダウンタウンさんだったんですよね」
――その後、「ピカルの定理」でディレクターとして一本立ちされたわけですね。
「本来であれば、ダウンタウンさんの下でいろいろと勉強させていただいたわけですから、そのチームで演出家になることが直接的な恩返しであり、チームの新陳代謝にもなる。ところが、不思議な巡り合わせで、その後、『めちゃ2イケてるッ!』(フジ系)を制作している片岡飛鳥さんと仕事をする機会があって。フジの若手ディレクターを発掘する『フジ算』(2010年フジ系)に参加させてもらったんです。そのときに、これまで触れたこともなかった『めちゃイケ』の哲学というか流儀というか、全く違う番組作りの“文法”に触れることができて、新鮮でしたし、勉強にもなりましたね。
そこからの流れで、『ピカルの定理』に携わることになったんですが、飛鳥さんの計らいで、『ピカル』が始まって3、4カ月経ったころには番組の総合演出を任されていたんですよ。『めちゃイケ』の本流にいなかった自分に総合バラエティーの演出を任せるのは、飛鳥さんにとって若干、博打というか冒険みたいな抜擢ではあったと思いますが、『めちゃイケ』~『はねトび』(「はねるのトびら」2001~2012年フジ系)とは全く違う、新しいものを作らせるための意図があったのかもしれません。
だから結局、直接的にダウンタウンさんに恩返しはできなかったんですが、自分なりの形でその恩に報えればと思っていました。というのも、ピース、平成ノブシコブシといった『ピカル』のメンバーは、みなさんダウンタウンさんから影響を受けて、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991~1997年フジ系)のような番組を作りたくて芸人になった人たちなんですね。そんな彼らにとっても念願のコント番組を、自分が演出させてもらえたというのはやはりある種の因果なのか、ダウンタウンさんから学ばせてもらった若手芸人と若手演出家が手にした打席であり、その意味では間接的な恩返しになれば素敵だなと思っていました。それは逆に言うと、ダウンタウンさんの制作班から離れたからこそ実現できたことなんだと思ってるんですけど。ともあれ今考えると、運命に翻弄されるがまま抗うことなく、そのとき、そのときを楽しみながら歩んできたのがよかったのかなと感じています」