末原拓馬のSNS
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2024/11/03からのいろい、
11月3日先日PASMOをなくし、探し、見つからず、新しいものをゲットしたのだが、また昨晩、PASMOとスタバカードを…
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2024/10/21からの雑文
自転車のカゴの網目にカゲロウがひっかかって出てこれなくなってて僕はどう助けようかと迷った。カゴに乗せてそのままどこかに…
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日々のすごくとりとめもない雑駄文のつどい
10月10日母が誕生日だったので酒を飲んだ。近年珍しくスケジュールを調整できてよかった。昔は体育の日だったけど、今はな…
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朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』おしまい。
朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』が終わりました。千穐楽から少し配信もやっていたから少しだけホッとし…
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日々の雑文
脚本演出をしている舞台の幕が上がり、脚本4本の執筆に追われながら打ち合わせを繰り返したりな日々。例によって、日々の中で…
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ひびのにっき
震えながら演出家をやってる。恐怖のせいではない稽古場が、寒いのだ俳優は動き回るから暑いもんで、稽古場では彼らに合わせて…
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3年目
おしもおされぬ、パパの命日。決してアニバーサリーだイェーイて感じの日ではもちろんなくて、なんなら忘れたい日だよなと言う…
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日々の僕の言の端切れの
6月20日毎月19日はシュークリームの日らしいのだ。じゅーくりーむだ。バレンタインチョコや恵方巻きよろしく、企業に仕掛…
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2024/02/21から3月8日くらいまでのいろいろ
夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔…
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2月1日から2月21日までに書きためてしまった文章たち。
またやってしまった。前回の投稿をして「ここからは頻繁にブログを」と思い日々の文章を書き始めたのだが、投稿せぬままに溜ま…
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気分転換文
突然ブログなんて書いたらなんだよ、と思われるかもと言う心配もあるのだけれど、実に、本当、何一つ大した意図はない。予定が…
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2023/10/06くらいからのいろいらな書き溜め
10月6日ヒートテック、トレーナー、コート、という格好で出掛けている。寒いのは苦手だ。今が、秋なのだっけ?梨とか栗とか…
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朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』
朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その…
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『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。
おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧にな…
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2023/07/01あたりの今更な日記
海外から帰ってきた。海外にいても思ったより日本の世界は自分の中に続いていたし、日本に戻ってきても想像以上に海外は自分の…
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11月3日先日PASMOをなくし、探し、見つからず、新しいものをゲットしたのだが、また昨晩、PASMOとスタバカードを落とした。たくさんお金が入ってたやつなのだから悲しい。お年玉というか、落とし札だ。どうか誰かに拾われて幸せになって欲しいし、拾った誰かを幸せにして欲しい。11月4日脚本演出と出演のGRAVITY on STAGEの舞台本番。どうでもいいけどアルファベットの公演タイトルはかっこいいけど文字を打つのが少し大変だ。あと、妙な漢字のやつもだけど。姿月あさとさんが、「キーンジは爪の色が普通じゃない方がええで」と言いだして、爪を塗ってくれた。塗り終わったあとで、「どう?爪が息苦しくなったやろ?」と言われた。え、あ、うんてなった。HYのヒデくん。演技初挑戦だけど、役柄的にもタッグを組んで二人三脚走り抜けた。この新里英之という魂に出会えたことは今回の恵みの一つ。また会いたいし、また何かやりたい。沖縄に会いに行こうかな。義久さんと光司。どちらともこの短期間で信じられないくらい遊んだ感覚がある。義久さんなんて笑うほど体育会系男子であった。バレエシーンとの融合もうまくいったように思う。真ん中の白髪の男性が、こうづなかば氏。こうづさんへの贈り物としてこの物語を描いた。祈りを探す登場人物のネイカヴァ、キーンジ、アツサイの名前は、それぞれこうづさん関連のみなさんのお名前から頂いた。ネイカヴァは、「なかば」だしね。こうづさんはウェットに感情を表現するタイプではないけれど、心の内側に巨大な波を飼っているのは友人としてよく知ってるし、そこが好きだ。人生の一部として、ずっとこの物語を大切にしてもらえたら嬉しい。広い会場の2000席がパンパンに埋まっていたけれど、物語の寿命として1日というのはあまりに短すぎる気もするので、またやりたい。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。机まわりが汚いとスタッフに叱られた。片付けようといつも思ってるのに気付くと忘れたりすること多く、片付けに関する本をこれまで何度も買って読んでる。いつの間にかその本たちで部屋が散らかってるのだから世界は無情だ。11月5日先週から左目がひどい腫れ方だったんだけど、起きたら今度は右目がひどい腫れ方。目医者に行ったのだが、結膜炎とかそういう感じらしい。触って痛いならウイルスで、痛くないからアレルギー、みたいな話だった気がするのだけど、目に光を入れる機械に興味を持ってたら医者の先生の話聞き逃して、あちゃあと思って手渡された紙をみたら「目が腫れている」と書かれていた。いやわかってるって!処方箋を出されたので目薬をもらおうとおもって調剤薬局に行ったのだが、「ただいまの待ち時間50分」と書かれていてたまげた。テーマパークだ。50分の間、仕方ないので執筆をしていたのだけど、サンプルの青汁を配る人が来たり、変なLINEに登録させられたり、不思議な場所であった。明日は遠出だ。朝から軽井沢に向かうのだが、荷造りができない。諦めて朝、向き合うことにする。11月6日第16回日本映像グランプリで、主演映画「エスパーX探偵社」が荒唐荘子賞というありがたいものをいただいたのだ。授賞式がなぜか軽井沢で、監督やプロデューサー、俳優たちがひしめき合う山中の館に足を踏み入れた。これが映画なら確実に夜は殺人事件が起こる。審査委員長の村井敬さんという建築家としても名を馳せた方の映画評論が本当に素晴らしいおもしろさでよかった。博識な人ってのはいいな。雑学王とは似て非なる者だから、そこのあたりは、コンピューターとも全く違って、なんだか人間の尊厳というか美しさを目撃したような気持ちになった。100本以上観て審査したというのだけどすごい。俺なんて今年観た映画何本だろう。5本も観れてないかもだ。一泊したのだけど、部屋がまさかの監督との相部屋だった。帰り道に山奥で迷子になって遭難しかけたり大変だったけど、なんとか帰京。11月7日夕方からはまた脚本打ち合わせ。こちらも大盛り上がりしてよかった。すぐに描き始めたい!!!と心が熱望するも、実際にこのプロジェクトが動くのはまだ先で、すぐにやらねばならない執筆がまだまだ目の前にあり、こうして、いつも少し混乱する続きをみる
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自転車のカゴの網目にカゲロウがひっかかって出てこれなくなってて僕はどう助けようかと迷った。カゴに乗せてそのままどこかに連れて行くのも申し訳なくて、試しにふうっと息を吹いて飛ばそうとしてみたけどカゲロウびっくりするくらいにその風くらって下手したら足くらいもげちまいそうだ。とは言え、指で翅か足(とても長く細い)を掴んでみても、これまたもげちまいそうだ。成虫になってからの命が嘘みたいに短いと言うのは知ってるよ。どうしたい。どうなりたい。どこに行きたい。こいつなど何も考えていないんだと想像した方が気持ちが楽だけど、そんなわけもないと思う。自転車を真っ逆さまにひっくり返してカゲロウを手のひらの上に落とし、近くの木や草の生えてるところまで連れて行った。そのあと自転車に乗りながら、もしかしてあいつは遠くに行きたくてカゴに忍び込んだのではと考え始めて、猛烈な後悔に襲われた。金木犀は雨に濡れたときの方が匂いが強い気がする。それがなんだか、妙に残酷なことのような気がしてる。いよいよもって『カスタネット』の本番間近だってんで、準備にいそしむ日々。同じ芸術祭に参加する他のカンパニーが賑やかに稽古場での集合写真をアップする中、こちとら独りぼっちだ。なんて思っていたら、俳優仲間やスタッフの屈強な男たちから連絡が来て、アトリエに押し掛けて手伝いをしてくれたりする。ありがたい。芸術家たるもの孤高でありたいところだが寂しいのはちゃんと苦手だ。写真家の三浦麻旅子さんも来てくれた。俳優を始めて最初に写真を撮ってくれたひと。父の知り合いづての紹介で出会ったが、かれこれ随分な月日だ。何せ芝居を始めた頃からの付き合いなので、外部の仕事はともかくとして我がクリエイティブキャリアのほぼすべてを目撃してくれてそしてフィルムに焼き付けてくれてる。自分でさえ忘れ続ける時間を、遺してくれる人がいるのは嬉しい。フィルムじゃないか、今は。独り芝居をやるほどに、独りじゃないと実感する。ひとに守られ助けられてばかり。よいことだと思う。情けないなとも思う。僕らの世界は、野生動物に餌やりをしてはいけないことになっている。それは結局、動物たちにとって不幸なことになるんだ!と。心がぐにゃぐにゃする世界だ。お腹が減っている生物を見たら何かを食べさせてあげたいと言う超本能的な心の動きを封鎖しなくてはいけないとは。これは、合ってるんか。アジア諸国を歩くときは子供に付いてこられたら逃げた方がいいと言う、彼らは物乞いで、物や金をあげ始めたらキリがないからと言う。理解はできる、でも、合ってるんか。いろいろなことは、わかっちゃわないこともなくて、簡単な支援が相手の自立心を奪うだとか、病気の蔓延がどうだとか、糞害だとか、こちらの身を守るためだとか、わかるのだけど、めちゃくちゃシンプルに、困ってる人がいることがまあまあ我慢ならないのもホントのことで、見て見ぬふりの心的ストレスたるや食品添加物くらいには体にも悪そうだ。世界を丸ごと変えていかないとこのモヤモヤから逃れられないのだと思うと頭を抱えてしまう。世界と向き合う時、ほとんどの行動は焼け石に水だ。でも、水がかかった瞬間は焼け石も一瞬ヒヤッとできるよね、と思うし、海ほどの圧倒的水量の中にぶち込めば焼け石もさすがに冷えるよな、という希望もある。。。。お酒をやめて毎日走り倒して独り稽古をしまくりながら思いつくがままに脚本を描いておる、みたいな毎日。本来の自分が戻ってきたなと言う感じがする。まあ、人間、何を持って「本来」なのかはよう知らんし、本来に戻りすぎたら赤ん坊だぞもっと言うと無だぞとも思うのだけど、とにかく最近なんだか自らの野生感にしっくりきてる。そもそも、デスクワーク業になるとは微塵も思ってなかった人生で執筆と打ち合わせばかりと言う昨今が不思議なのだもの。打ち合わせを散歩形式にしたり、公園や駐車場で話させてもらったり工夫をしてるけど、走り回って泣いたり笑ったり大声張り上げてるのが続きをみる
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10月10日母が誕生日だったので酒を飲んだ。近年珍しくスケジュールを調整できてよかった。昔は体育の日だったけど、今はなかなか体育の日にはなれない日だ。鹿児島出身のせいか、うちは両親ともに大酒飲みで、しっかりとその2人の息子らしくあろうと拓馬も努めてアルカホリックめいた人生をお送りしている。末原家は家族でわざわざ外食と言う文化は小さい頃からあんまりなかった。外でお酒は?となると、さらにちっともない。父とは何度か、外で一緒に何かを観たり、ライブなど一緒に仕事した帰りなんかに飲んだことはあるが、数えるほど。「今日、飲み行こうぜ!」なんて誘ってみたらよかったのになあ、と今更ながらに思うけど、そもそもわざわざ居酒屋に行くと言う文化があまりない我が人生だったもので仕方がない。母とは、となると、更に回数は少ない。そもそも母は生まれてこの方、居酒屋に行ったことがあまりないらしい。常に育てるものがいる人生だったからな気もする。行きたいのに行けない、という以前に、行ったことがなかったのだ。て、わけで、誕生日を言い訳にというか、居酒屋に誘うことにしてみた。基本、何に誘っても、自分がもてなされたり贈られたりに対してリアクションの悪い母で、喜ばせ方の難しさに家族みんな手を焼いてきたんだが、この日は誘ったら乗り気になってくれた。で、まあ、飲む、飲む。息子よりも、飲む。で、この度(たぶん)初めて知った衝撃の事実があって、母方の家系の苗字、つまり、ひいじいちゃんの苗字、「サコウ」であるのは知っていたんだが、漢字で酒匂と書くらしい。なんだそりゃ調べてみたら、川の名前に由来するらしいんだが、ヤマトタケルがその川に神酒を注いで龍神に祈念したら、その匂いがしばらく止まらなかった、みたいな神話に基づくらしい。以前に龍呼ばわりされていたことがあったせいか、龍はなんか親近感の湧く存在だから、龍がらみてのも、いい。母は物欲もない人なのでプレゼントも悩みつつ、今年はミモザの木を贈ってみたんだが、怒られた。何年も前にソメイヨシノを贈って怒られたことがあったんだが、やっぱ、無理か。うち一軒家じゃないからな。。。。。寝ても覚めても居ても立っても居られないコンディションで、とにかく夜中に歩き回ることが多い今日この頃。ハロウィンぽいゴミ箱を目撃。極めてゴースティだ。目は目としてこのままにしといて、缶を飲み込む口は別に作ってあげたい。深夜にタヌキも見かけた。ニュースによると最近じゃ猿もあちこちの街中に出るらしい。どうせ世界がディストピアみたいになってくなら動物が出まくる感じがいい。将来の展望として、動物に食われるのは悪くない。。。。台湾料理!と、どんっと背中に書かれた自動販売機を見つけたので、果たしてどんな物を売ってるんだ?と思って正面に回ったら......元祖名古屋名物!名古屋なの?台湾なの?と混乱しかけるが、大らかっていいなあ、と思った。「失ってから大切さに気づく」という概念はそこかしこで聞くが、とっても真理だ。ドラえもんに「ありがたみわかり機」という道具がある。例えば、靴のありがたみを知りたい!と頼むと、靴が身の回りから消えるのだ。そうすることによって、自分が日頃いかに靴から恩恵を授かっていたか、靴を愛していたか、なんてことを実感できるのだ。これは素晴らしい道具だが、実際には、「これについて、ありがたみわかり機を使おう!」と思えた時点で問題はほとんど片付いていることが多い。そのものを「当たり前に思ってしまっているし、煩わしいと思っているが、もしかして、自分にとって大切なものなんじゃないか?」と薄々気付いているわけだから。実際は、ありがたさに気づいていないまま大切にし損ねて失うものが人生にはそれなりに多い。どうも、「まさかなくなるわけはない」という思い込みは全てにおいて持つべきではないようだ。僕らは平家物語を熟読する必要があるわけで、永遠に続くものなど存在しないのだ。すべてのものが死に絶え、消え去り、変化していくことを心から信じて、僕らは大切なものを大切にしなくてはいけない。だが、この「大切にする」というのは技術が必要で、難しい。みんながんばろう。みんなに幸あれ、と祈る次第である。脚本、演出、出演のGRAVITY on STAGEの稽古が挟まる日々。末原拓馬がまだ何者でもない頃から目を掛けて助けてくれたデザイナーこうづなかば氏の活動40周年を記念して行われるこの公演だって言うものだから、「出世払いね!」と言ってなんでも頼んでいたあの頃の恩返しをようやく、という気持ちで全力を注いでいる。そもそも、ウクライナのアーティストとコラボと言うコンセプトがあった。ウクライナのバレエダンサーのマトヴィエンコ氏と現代音楽家のヘイナリさんと作品を創ろう、って。本当は来日していただく予定だったものの諸々の残念な事情でそれは果たせなかったのだが、音と映像で、作品の大切な部分を担ってくださる。この公演はバレエと演劇のミクスチャー。バレエと言えばロシアである。ロシアやらウクライナやら......こちとら日本だし、テーマは宇宙だしだ。なんと言うか、芸術家同士、文化の繋がりは、国境だの世界情勢だのは洒落臭ぇと蹴飛ばさせていただき勝手にやらせてもらうぜよ、という気持ちの表明が根底にある。宇宙コロニーに住む、なぜか迫害を受けて育った青年ネイカヴァが、食べ物を盗んで処刑されるところから物語は始まる。死刑に際してのネイカヴァのスタンスは「別にどう続きをみる
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朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』が終わりました。千穐楽から少し配信もやっていたから少しだけホッとしていたのに、配信も終わってしまいました。 「ま、終わらない夏休みなんてあるわけないもんね」とキヨのセリフが物語の中にもあるけれど、終わらないものってこの世界にほとんどないから仕方なく、それに向き合うしかない。 どうせ終わるなら、最高の終わり方にしたい、誰もに自慢できる、かっこいい時間だったと胸を張りたい。 これは、演出の時にみんなに話したことでもありました。夏休みの自由研究を、クラスの前で、めちゃくちゃかっこよく発表する、それが5人のワクワクしてたまらない夢でした。5人とも、めちゃくちゃ仲間外れなんですよね、校内で。だから、「キモい5人」が集まって発表なんて黒板の前に並んだ瞬間、クラスメイトはくすくすと意地悪な笑いをぶつけてくるだろうと5人はわかってるんです。それでも、海を盗んできたんだ!最高の冒険を経てな!と、そう叫んでやるのは、想像するだけでうっとりする時間だったのです。50年も経ってしまったんですけどね。50年も終わらなかったヴィンテージものの夏休み、それを自分の意思で今更終わらせないといけないのは、頭おかしくなるくらい悲しい。選ぶはめになったトノキヨもかわいそうです、ほんと。『僕たちはその鉄橋を』というタイトルの絵です。 50年もの間、ポセイドン号は橋の上に居続けて待ち侘びた。 渡り切れなかった鉄橋を、5人は渡り切る、想像の力で。 彼らは世界の現実にさえ頼らないで、自分たちの力で橋を渡りきり、砂浜を駆け巡り、波と戯れ、キャンプファイヤーをやり、そしてついには朝日まで昇らせてしまう。勇者なんです。どんなかっこいい戦隊モノのヒーローたちも、彼らには勝てない。 僕らは稽古場でそんなことを語らって本番に挑みました。2021年、舞台初演。 必死で作り上げたのでした。https://www.amazon.co.jp/%E7%93%B6%E8%A9%B0%E3%82%81%E3%81%AE%E6%B5%B7%E3%81%AF%E5%AF%9D%E5%AE%A4%E3%81%A7%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%BA%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%82%92%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F-%E6%9C%AB%E5%8E%9F-%E6%8B%93%E9%A6%AC/dp/40652874992022年、小説化、出版。時を同じくして、舞台再演。ダブルキャストにし、ダンサーたちも入れて演出も派手にした。朗読劇、一度目。実力派の声優たちを集めて挑んだ。初めて、自分は出演をしないリュズタンだった。不思議な気持ちだったけれど、出演者も来場者も物語を愛してくれた。物語が独り立ちした気持ちになった。 そして今年、朗読劇2度目。実に5回も姿を変えて、贈り直してきた。こんな作品は人生でも初めてです。 向き合うたびに心がどうにかなってしまいそうになる作品です。 て言うのは、いろんなところで語っているので、毎年言うのもどうかと思いつつ何ですが、この作品は僕の父が他界したことににまつわって描いたものです。詳しくは2021年7〜8月あたりのブログを読んでもらえたりするとこの作品が生まれた経緯がよくわかるとは思うんですが、リュズタンは、僕にとってとてつもなく私的な意味合いも持っている物語です。 死の直前まで父はこのリュズタンのサウンドトラックを創っていました。筆の遅い息子より先に音楽を創ってしまうというタイプの創作はこれまでも何度かありましたが、その後でこんなに遠くに行ってしまうのは初めて。父の遺した音楽を使って物語を創る、歯を食いしばりながら挑んだのもいまや懐かしい記憶です。 だからこそ、この物語をみんなのものにしたいと言う強い気持ちがあります。それは、世界が父と、父の音楽を忘れないで欲しいと言う思いです。父は肉体を捨てて音楽になってしまったのですが、それはそれで、父なので。世界から忘れ去られ無い限りは、父は消えてなくなったりはしないな、と。 なんで、父とリュズタン、そしてその音楽を知る人が次から次に現れてくれますようにと願いながら物語を続けるし、そんな仲間が、リュズタンに触れる度に末原康志という存在を思い出してもらえれば嬉しいです。 この物語が、いつか古典と呼ばれるようになるのを願っています。生まれて経緯なんていつしか忘れ去られても良くて、僕自身もいなくなって、忘れられてもいいから、リュズタンみんなのものであってほしい。みんなの御守り出会ってほしい。どうかこの物語があなたの物語でありますように。キヨは、実は4人の仲間といない時間はいつも暗い家の中で一人ぼっちなんです。母親は昼間も夜中も仕事に出かけていて、滅多に話すこともできない。借金取りが来ることも多いので明かりを消している。そんな中でキヨはリュズタンと過ごし、想像の力で無理矢理に毎日を美しい物語に変えていった。キヨは学校でも「それ、リュズタンに言おうかな」とか突然口走るので、当然周りからは浮いている。 物語中盤で想像力の練習をする場面は、あれは屋根裏部屋なんですが、キヨなりに調べた海にまつわる絵とか資料とかが吊り下げられてたり、ノリムネからもらった魚の骨とか貝とかがあちこちに飾られています。 4人の存在はキヨにとってはすべて。奇跡のような仲間。生まれ変わっても永遠に繋がり続けたいというのは、切実な、夢のような願いなのでした。フナノはとにかく父親を全面的に尊敬しています。尊敬していい父親ではほんとうはないんですけどね・・・言うまでもなく、周りからは浮きまくり。別に彼自身のフィジカルが強いわけでもないし、やさぐれたメンタルがあるわけでもない。父を、父という理由だけで尊敬し、そしていつか自分もそうなりたいと願っています。古典文学が得意なのは、年老いた祖父と共に暮らしているからだったりします。父から受け継いだポセイドン号をどれほど大切にしていたか、なんてこともよく話しました。毎晩みがいてたんだろうなあクラスではほとんど誰とも喋らないミナ。劇中では語られていないけれど、ミナはトノキヨと出会ってから、トノキヨの前で何度も歌と踊りを披露するようになるんです。ミナは、ト続きをみる
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脚本演出をしている舞台の幕が上がり、脚本4本の執筆に追われながら打ち合わせを繰り返したりな日々。例によって、日々の中でだらしなく書き溜めた文章を放出です。7月28日「霊柩車を見たら親指を隠さないと父親が死ぬ」 そんな迷信を小学校の時に聞いて以来、すこぶる気をつけて生きてきた。 今日、仕事の帰り道で霊柩車を見かけた。最近はあのお神輿みたいな車ではなくて、かっこよくて黒い外国車だったりする。慌ててサッと親指を隠したものの、もう気にしなくていいんやないかーい、と、お笑い芸人よろしくなるべくひょうきんな感じで自分にツッコミを入れる。 7月29日舞台Clubドーシャ劇場入り。スタッフたちのクリエイティブが一堂に会する特別な時間。「裏方さん」という言葉はあまりしっくりこない。裏からみればこちらが表で、それはそれはクリエイティブな喜びと熱い闘いが渦巻いてる。表裏一体だ。 幾度となく重ねられるワクワクとした打ち合わせは、それはそれは楽しい。演劇愛と情熱で繋がるスタッフとの新たな出会いと再会を楽しみにして生きている。今回のチームも抜群に素敵。 。。。。 炎天下の下、とてつもない数のミミズがひからびて死んでいた。昨晩が大雨だったからだろう。 おとなしく土の中にいればよかったのに何してるんだ?バカなのか?と、亡骸を目にした自分のショックに任せてズケズケとおもう。そして、その後で、やめとけばいいのに、命をかけてでも外に出たかった彼らのロマンもを想像してしまう。 あー、自分たちも偉そうに言えないじゃんな、と思う。生命活動を続けることが目標ならば安全な家の中に立て籠もって生きるのがベストか?ミミズは、そして人間は、何のために生きてるんだ? 命を危険に晒してまでやる意味のあること、を僕らは繰り返してる。どのくらい晒すかは匙加減、晒しすぎた者がたまにうっかり死ぬ。死ぬほど生きたかった命を、そこまで堂々と馬鹿にはできない僕ら。 8月2日アンタ本番中に関係者席でスマホ観てたの!?とマネージャーに言われる。「脚本家が関係者席で本番中に携帯を見ていた」的なことがネットで話題になり拡散されてるぞ、と。 ひょへ!?と声が出た。当たり前だけど、そんなことするわけがないのだが、魔女狩りを彷彿とさせる根も葉もない濡れ衣を着せられて風邪を引きそうである。火のないところにも煙がたつのか.....今回は、かが屋さんとの共同で脚本を描いたので脚本家と言えば2人いるのだが、賀屋さんが来たのは翌日なので、この場合、容疑者は僕だ。 やって、おりませなんだ・・・ まず、初日からしばらくの本番中は、終演後にキャストとスタッフに作品改善点を伝えるため、紙とペンを握り締め、命懸けで作品のチェックをしている。それが演出家の仕事だし、僕は日頃から、劇場に入ってからもしつこく作品を磨きたいたちだ。 それに、そもそも関係者席に座ってない。本番中に演出家が隣でメモを取っていたらお客さんの迷惑になるだろうからと、僕はメモを取りたいとかは制作さんに言って特別な席を用意してもらうことにしてる。やむを得ずお客さんの隣に座ったことも過去にはあるが、そんな時は気を散らせないように細心の注意を払う。シーンの最中に突然演出家が隣でカリカリカリカリとメモを始めたら「あ、ここのシーン、問題あるんだ!」とか思っちゃうだろうなあ、と思うのである。気にしすぎかもだが、僕は本番の場内で起きることについて病的に完璧主義なところがあるのだ。 何よりも、我々演劇人にとって、客席の観劇マナー向上は悲願。昨今はみなさまのおかげで良い観劇マナーが浸透してきてありがたい限りだが、世界の様々な演劇大国を参考にすれば、もっともっと素敵になる気もしている。堅苦しくなりすぎず、だけど、他人の自由を踏み躙らないようにみんなが自由でいられる空間創りをこれからも目指し続けます。 と、まあ、自分の身の潔白をここでひっそりと晴らしておきます。Twitterに書こうかと思った続きをみる
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震えながら演出家をやってる。恐怖のせいではない稽古場が、寒いのだ俳優は動き回るから暑いもんで、稽古場では彼らに合わせてクーラーをガンガンにする。しかし、こちとらは座りっぱなしだ。凍える。ほんとに凍える。そうでなくても1年中長袖でいる寒がりの自分だ。長袖の上に長袖を重ねてる。7月19日じゅーくりーむの日。シュークリームをたべる。しょーこりーもなく、たべる。7月20日髪を切る。けっこう切った。いつもお願いしているひとがどうしても都合つかなく、それはそれは適当に決めたお店の初めましての方に切ってもらったのだが、「どうしますか?」と聞かれて、やっぱり答えられず、任せてしまった。「自分で自分のことを決めるのが大人なんだ」と叱られたことがある。そうありたいと思ったのに、自分の髪の毛のことさえ、どうでもいいなんて。食べ物にこだわりもないし、滅多なことでは「いやだ!」という気持ちにならない。なれない。さすがに大人に見られないとかっこ悪いフェイズに突入しているもので、がんばって、何事も自分で決めたいフリをしてみたこともあるけれど、大人ごっこをしてるみたいで逆に幼い奴な気分になる。自分のことは自分で決めるべき、なんてことを他人に決められているようじゃまだまだである。こだわらないことには胸を張って、こだわらない勇ましさを手に入れたい。7月21日また脚本を描いて提出してしまった。このひと月で3本目だ。どうしたんだ、こんなに締切を守れるだなんて。基本的に、提出しました!みたいなことは公に言うこともない。脚本の進行てのはどうにもはやくて、まだ制作発表もされてないことが多いのだ。秘密裏に進めている。人知れず、独り、部屋にこもって。7月23日稽古前に、9月に出演する『パニックピッカー』のヴィジュアル撮影に行く。Clubドーシャとは打って変わって、この座組では下っ端でとても心地よい。いわゆるバイプレーヤーのお兄さんたちが手を組んでつくりだした劇団。艶漢という何年もやっていたシリーズでの戦友、三上俊ちゃんとも久しぶりの共演。たまたま撮影の時間が被ったおかげでの再会できてうれしかった。こういう誰かとの再会のときに、相手より喜びすぎてしまう癖が自分にはあることを最近では自覚していて、気を付けてる。撮影のヘアメイクさんが「覚えていないと思いますけど、私、実は前にご一緒したんですよ」と話してくれた。マスクで最初は気付かなかったけど、言われて、あー!と思い出したので「あ、覚えてる!」と続きをみる
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おしもおされぬ、パパの命日。決してアニバーサリーだイェーイて感じの日ではもちろんなくて、なんなら忘れたい日だよなと言う気持ちもありつつ、でも、誕生日と命日、年に2回パパ祭がある方が豊かな気がして、いちいち、大事にしてみる。なんなら父の日もこっそり父を讃えているので、パパは年に3日も記念日があって羨ましい。3年目である。もう?て気持ちと、まだ?て気持ちが入り混じる。父の不在に慣れたわけではないのだけれど、喪失感とはほどよい関係を築けてきた気はする。フと夢で当たり前に会話してたりもするのはおもしろい。「パパ!?パパなんだね!会いたかったよ!」みたいなドラマチックな感じは特になく、なんならほのかに叱られてムッとする夢をみたりもする。ちなみに母は、父を夢に呼び出すために寝る直前に線香あげるという技を編み出したらしい。無理矢理に魔法のアイテムに仕立て上げられて線香も迷惑してると思う。それにしても、亡くなって2年目が3回忌という抜群の紛らわしさをどうにかして欲しい。そして3年目の今日は特にスルーと言うのも不思議だ。いいんだけどね。母と何か特別なことをしようかとも考えたけど、別にわざわざどこかに行ったり誰かに何かを頼んでお祈りするのも妙だよな、と言う結論。毎日父のために祈ってるし、やはりあまりに親しいのだ。オフィシャル感を出してしまうとちょっと他人行儀で不自然な気がする。 命日。命の日。死ぬのと生まれるのは似たようなものだよなと最近は思えるようになった。どうも僕ら、命にあんまり緊張するのは良くない。死ぬのに緊張するよりは生きるのに緊張して毎日過ごした方がよっぽど費用対効果がいいよと思うのだ。おぼんろ最新作公演の聖ダジュメリ曲芸団と言う作品ではテーマの一つとして命のことがあった。圧倒的なる命の軽さ。みんな、最後の最後でものすごく何かを成し遂げられたりしないし、夢半ばで、あまりにあっけなく命は終わるし、周りの人も、一番伝えたかったことを最後に伝えられたりもしない。でも、いいのである。どうやら、いいのだと思ったのである。命なんてあまりにあっけなく消える、そこに問題なんてあるか続きをみる
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6月20日毎月19日はシュークリームの日らしいのだ。じゅーくりーむだ。バレンタインチョコや恵方巻きよろしく、企業に仕掛けられた巨大な陰謀であることなど百も千も承知だけれど、受けて立とうじゃないか。シュークリームはハッキリ言って大好きだ。公演期間中に食べ物の差し入れが許されていた頃が懐かしい。シュークリームが大量に来てしまって、みんなで食べなくちゃ!となっていたあのころ。そう言えば昔、父が19という2人組の仕事をしていた。彼らは19歳だったから19だったのだろうか。いまはいくつなのだろう。年齢に合わせて名前を変えていても素敵だし、変えていなくても素敵だ。6月27日今朝、多分だけど寒いせいで悪夢を見た。寒がりなもので半袖で寝るのが苦手だし一年のなるべく長い期間を長袖を着て分厚い冬布団の中で眠っていたい。そう言うあれこれをついうっかり無視して眠ったところ、まんまと悪魔を見たのだ。ふと思う。夢では体験したことないことを目撃する。飛行機が墜落するとか、動物が喋るとか、血だらけの人とか、信じられない光景。これら、実体験でないものを夢の中で映像として目撃できているのは不思議で、おそらく映画やテレビ、アニメ、漫画で観たことあるから夢で見れるんだろう。そう言ったものを一切観たことが無かったら、僕らはどんな夢を見るんだ?僕らの想像力はどこまで自由なんだろう。見たことないものを思いつくこと、僕らはどれくらいできるんだろう。なんつって遠い目をしている場合じゃなく、あー......悪魔こわかった。。。。。。コロナから数年、ようやく、リモート会議は集合時間の5分前に入ってカメラとマイクをミュートして待ってれば良いんだということ知った。おびただしい数の遅刻を供物として、ようやく辿り着いた。オンタイムで入ろうとして、だけど通信トラブルなどで遅刻することがこれまで本当に多かったのだ。生まれてこの方、遅刻常習犯として生きてきたけれど、したくてするんじゃない。本当に、遅れてる時ほど心が壊れそうになることはないのである。。。。。ペン先が潰れて作業ができぬ。締切直前。徹夜も厭わぬつもりの深夜一時半、ペン先が潰れた。一本200円の高級さにビビり、買い溜めする勇気がなかったのだ。仕事道具に関してだけは金に糸目はつけないと決めているのに、フと貧乏癖が頭をもたげることが多い。10万円のものなら「買っちまえ!」となるのに、数百円のものだと尻込みするから不思議だ。朝起きてから、仕方ないのでいそいそと買いに行く。少しだけ特殊なお絵描き用のものなのでコンビニなんかには置いていないもので、地元だと駅前の老舗文房具屋にだけある。創業何十年で、ちかくに大きな店も多いので潰れていないのが不思議なのだけど、この店が好き。。。。。。小学生の頃に、コバが「アイスクリームの天ぷらをたべた」と話した。そしたらクラスの何人かは、私も俺も、と食べたことがあると言った。ははぁ、これは嘘だな。と思った。しかし、一向に「うっそぴょーん」と種明かしをしないコバたち。あれ...これは?そこから私は信頼おける大人に会うたびに「アイスクリームの天ぷらは存在するか?」と、まるで哲学者への質問というかオクスフォードの受験論文のようなことを尋ねる日々を送った。ものすごく食べてみたかったのである。どうも、アイスクリームの天ぷらは存在するらしかった。いまだに、それがどんなものなのかあんまり想像はつかないのだが。あんなに憧れていたのにいまだに出会っていないもの、というのが人生にはいくつもある。こうなってくると、もはや出会うのが怖い。「出会っていない憧れのもの」としての付き合いが長くなってしまったのだ。出会ってからも同じ関係でいられるわけはないし、さすがに、憧れ想像したよ続きをみる
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夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔あったけどらいまならわかる。締切に追い詰められた人が夢遊病者のように散歩に出掛けて描いたんだと思う。あくまで仮説だけどね。もっと大きいの描きたい。あと、真上から見たい。見れない。超じいちゃん子だった。 じいちゃんが亡くなったとき、「冷凍庫にある、じいちゃんの干し柿はいつ食べればいいんだろう」と心配になった。毎年、作って送ってくれてたのだ。で、1年かけてゆっくり食べてた。でも、今あるうちで最後なのだ。その、最後のやつを、どう食べ終わればいい?最後のひとつを、どんな気分で食べるのか? 結局、いつどう食べたかは覚えてない。 。。。 うちのパパはなんだかんだ、発泡酒、第3のビールを毎日ごくごく飲んでいた。安いからだ。たまに現場から「ちゃんとしたビール」をもらって帰って、パパにあげると喜んだ。パパはなんなら常夏の国で生活したいと思うひとで、だからかドライとかオリオンビールが好きなタイプだった。ギター1本で家族を養っていたパパに、せめて毎日上等なビールを飲ませてあげたかったなといまさら思ったりはする。2人でライブをやった帰り道、車でコンビニに寄ってビールを買うのはお気に入りの習慣だった。そのときは、上等なのを飲んだ。でも、音楽室でふたりでドラフトワンなんかで乾杯した思い出も、いい感じの思い出だ。鹿児島出身のせいか、途中からは焼酎になる。 そんなパパが天国にスタジオを移したとき、ビール好きだったパパのためにたくさんのビールが贈られた。パパは自分の本なんかの中でもビール好きを書いていたから、ビーラーであるのは有名なことだった。で、パパへのプレゼントであるビールとはいえ、パパは死んでるわけで、飲むのは遺族の我々ということになる。で、このビール、冷やしたまま、まだ飲めてない。かれこれ3年である。なのに、飲めてないのである。こうなってくると、もう、神聖なビールという気がして、いつ飲む?という感じになる。 この前、朗読リュズタンの衣装デザインを手掛けた時、母にも縫製などを相当手伝ってもらった。この千穐楽の後だったかは、確かふたりで一本飲んだ。なんだか、然るべきタイミングという気がしたのだ。 さあ、次はいつか。そろそろ、ビールの賞味期限も気になり出す。 だがしかし、これにも最後の一本という熾烈な瞬間がある。 「パパ関連のビールをいつ飲もうかと思ってる日々」のを締めくくる瞬間を、自分は決められるのか。そのときの気持ちに耐えられるのか。 そんなどうでもいいことに悩む。 。。。。。 仕事に集中しすぎて、いきなり、日本語が喋れなくなる。「してきてくれた」か「してくれてきた」がわからなくなって瞬時に混乱して日常で言葉を噛む、みたいなことが多い。疲れているのだと思う。締め切りたちが迫りくる。三國志と、おぼんろ本公演と、後一本。描かないといけない絵もたくさんあるし、決断しないといけないこともたくさんある。劇団員と会った。基本、会議は好きじゃないので、この日もそういう類ではなく、なんか、会って、公演に際しての自分の気持ちを共有、みたいなところ。さひがしさんの誕生日プレゼントを渡そうと思って洋服に絵を描こうとしたのだけど、めぐみさんのプレゼントを渡していなかった(9月なので、この時期に会う予定がなかった)ことを思い出し、2人分用意することに。迫り来る締切の恐怖をほんの少しだけしまいこみ、作業。やっぱり、好きな人のプレゼントを創るのが一番幸せな時間な気がする。おぼんろ。タイトルを発表する都合で、この日までに決めてください。という脅しを受けた。数ヶ月前にプロットもタイトルも提出してはいたけれど、直前で悩む。数ヶ月前に自分とは気持ちが違ったりする物だ。結局、土壇場でそれまでと8割くらい内容を変えたタイトルを出した。 今回は公演の概要に関しては制作と製作委員会にほとんど全て任せてしまった。お金や運営のことは正直、本来まったく興味がないもので、繰り返される話し合いはそれなりに苦痛だった。なので、素直に、今回はただただ物語を描いて演出して出演することに集中させてもらおうかなとおもう。とは言っても主宰ではあるから責任は持つけれど。悩んだところで結局は大人の事情を気にしないといけない物事と向き合うと、どうやら自分はジャンプ力が落ちる。跳んで翔ぶことが、自分にだけできることなのだとしたら、そっちに専念したい。 。。。。目がかゆい。でも、ものもらいのような、結膜炎?のような症状がすぐに現れるようになってしまった昨今、触っちゃだめだ!と自分を制している。花粉症なんだろうか? まぶたとうまくいってない日々。目は口ほどにものを言ってしまうんだから、気をつけないとだ。余計なことを言わないように、目を口止めしないと。 。。。 前に、大阪土産のみたらし団子みたいなのを稽古場に差し入れしたら評判が良かった。実際、すごくおいしかった。鹿児島にはじゃんぼ餅というのがある。みたらしってすごいよな。僕ら年間、みたらしを口にする機会が何回くらいあるのだろう。生クリームとかとは合わないんだろう続きをみる
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またやってしまった。前回の投稿をして「ここからは頻繁にブログを」と思い日々の文章を書き始めたのだが、投稿せぬままに溜まってしまった。ヴィンテージになればなるほど気安く手を出しにくくなるのはワインも文章もそうだ。でも、かと言って廃棄もなんだ、と、リアルタイムで公開すれば「フレッシュだね」とちやほやされるはずだった文章たちを、「今更!?」と迫害が待っていそうな場に投げる。かわいそう。生まれてきたからには「友達100人できるかな」と言うモチベーションはなんだかんだあるのだと思う。実際問題、何人いるんだろう?友達。現代人アーーーチストとしては「僕には友達なんかいない」というニヒルな雰囲気を醸し出したいところだけれど、残念なことに夥しい数いる気がする。友達であることを示す免状や証明書がある話ではないけれど、一方的にであれ、「このひとは友達」とすぐに思ってしまうところが自分にはある。小さい頃からそうな気がする。友達だと思っている仕事の相手に馴れ馴れしくして「友達かよ」と言われてガーンとなったこともある。 。。。。初めて出会うひとのプロフィールはインターネットで調べすぎないようにしてる。会話しながら知っていくのが幸せだから。今回は座組が大きくて、稽古も、有能な演出助手により無駄のない分散稽古が組まれてた。さらには、感染症予防もしっかりしていて、マスク着用稽古!飲み会禁止!であった。とても理にかなった素晴らしい現場だったけれど、共演者との交流をもっとしたかったと、座組が解散する直前のいま、思ってはいたりする。 これは昨今おぼんろであっても決して変わらぬ事実で、現場中、仲間たちとぐだぐだ語らう時間というのはほとんどない。学生時代のように、やたらとお酒を飲んだりする非効率極まりない演劇活動が懐かしく感じもするけれど、そんなことしてる場合じゃないのも事実だ。創りあげたいもののクオリティが上がってしまったが故に、暇さえあれば準備に費やしたくなってしまった。 。。。2月1日劇場入り。草月ホールの場所がうろ覚えで間違ってカナダ大使館に入って「楽屋口どこですか?」と聞いて警備の人たちに警戒された。 結構ちゃんと、警棒のようなものチラチラ見せつけられ怖いくらいに警戒されて、「あー、今回の共演者のみんな、そんなに人気なのか」などと思ってた。劇場入りの翌日から本番という強行気味なスケジュールだが、場当たりが全て終わった。演出助手の青地洋とがとてもがんばってくれた。洋は、数年前にポップンマッシュルームチキン野郎という劇団にゲスト出演したときに会って以来の再会。嬉しい。どんな哀しみも、喉元過ぎさせて熱さを温もりと言い換えて大切にする僕らのたくましさに感謝する。ポップンでの思い出を、自分は一生大切にしていくと思ってる。2月4日千穐楽。伝えたいことは作品で伝えたように思うので無粋な追記は避けたいと思いつつ。参加してよかった。答えがわからないという答えがわかってしまった後の時代に生まれた僕らは、間違っているかもしれない戦いを恐れてる。考えないことの方が潔く美しいかとも思う。間違った戦いが人を傷つけるかもしれないことも知っているから。信じるものを信じたい。そして間違いたくない。そうビクビクしながらも、守るべきものを守るために命をかけていたい。そこに危険が潜む。物語という凶器を振り回す職業の自分たちにとって、目を背けてはいけない堂々巡りな問い。出会いに感謝。ひとつの共演が永遠の縁になることもある。大切にしていきたい。打ち合わせのときに、会社に呼ばれることが増えた。のだけど、こんなとき気になるのが、恥ずかしいんだけど「飲み物出るのかなあ」てことだ。極めて控えめな集中力しか所持していない自覚はあって、座って話し合うのがそれなりにちゃんと苦手で、落ち着かないからいろいろと飲んだりしてしまいがちだ。なので、コーヒーやお茶及び炭酸水を携えていたいのだけど、これらを用意してくだ続きをみる
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突然ブログなんて書いたらなんだよ、と思われるかもと言う心配もあるのだけれど、実に、本当、何一つ大した意図はない。予定が色々と入り乱れていて、バラエティパックな日々を過ごしているのはいいんだけど、常に締め切りに追われていると、「空き時間」がなくなってしまう。脳内が常に、「暇があるならば台本書かなくちゃ」て状態だからだ。稽古中でもあるから「自主稽古したい」と言う欲望もある。「身体づくりしたいな」てのもある。 そう、こうなってくると、プライベートめいた時間が極限までなくなってくる。なんで、その代わりというか、話し相手を求めるような塩梅で、こうやって、あれこれと書いてみる。ツイッターの方が気軽だったのはもうとうの昔で、あまりに呟くだけの言葉は呟きにくい今日この頃。それに、散らかしの海から陸へと上がってきた末原拓馬ですからね、どうでもいいものを散らばらせる力はあるけれど、物事の大事な部分を厳選して引き算して140文字に収めていくと言う才能があんまりない。 さっそく脱線するけど、「お洒落は引き算」て、本当にそう思いながら、その教えをとことんまで無視をして生きてしまってる。厚着、重ね着!今日も実に6枚重ねてる。寒がりなのだ。まあ、「お洒落は足し算」と思っていると言うよりは「お洒落は我慢」を遂行できていないとも言える。 オシャレと言えば、年末の紀伊國屋と京都でやった公演『ピアフとコクトーへのオマージュ』と言うのがあったのだけれど、そこで、スタイリスト(イブサンローラン勤務!)とヘアメイクのスタッフに「お!古着っすね!」と服装を褒められた。違うのである。中学校の頃から着ている服をまだ着ていたのである。そう伝えたら「物持ちいい!!」と更に褒められた。断固、褒めてこようとするタフさだ。優しく明るいスタッフに随分と救われた現場だった。服については、実際、新しい服なんて全然買わない代わりに、全然古い服を捨てないので、僕のタンスの中は地層よろしく、多彩な時間軸でミルフィーユされてる。僕には断捨離欲がない。何もかもが時空を超えて入り混じっている感じが、いいのだ。 さあ、どうだ、例によって、ここまで書いて何一つ大切なことが書かれていない。暇だから書かれた暇文だ。気分転換文。 ・・・・・・・・・・・ 「ロッカールームに眠る僕らの知らない戦争」と言う、2月の頭に出る舞台の稽古に通っている。 本番をやるのは草月ホール。ちょっとだけ因縁があって、もう何年も前に『純情ロマンチカ』と言う舞台の演出をしていて、その本番をやる予定だったのがこの劇場だったのだ。「だったのだ」と言うのは、この時、我々はとことんまで稽古をしていて、それはそれは素晴らしいものを作り上げたぞ!とキャストやスタッフと「おっしゃぁぁぁぁぁ!!劇場でまた会おうぜ!!!」と別れた数時間後に電話がかかってきて、そう、公演中止が知らされたのだ。その時はポカーンと、それなりの絶望に抱き竦められ、我が子を拐われたような痛みを胸に差し込まれた。でも、今になれば、いい体験だった。その現場を経て、僕は僕がどう言う人間なのかを知ることができたと言う、「鏡」のような現場だった。未来に続く仲間も得た。 あー、また脱線してしまったが、そう、稽古なう、の日々だ。これ、タイトルが長い。ついこの前、稽古場で、「ロカボって略してるからいいけど、『コインロッカーに眠る僕らの知らない戦争』て名前は覚えにくいよ」と言ってしまいみんなから総攻撃を受けた。コインロッカーじゃない。ロッカールームだ。しかもロカボじゃなくてロカ僕、と略すのが主流らしい。 ロカボってのは、体にいい感じの食べ物の総称らしい、じゃあロカボはなんの略?ってことも話題になった。みんな知ってる? ・・・・・・この公演の脚本演出家は、オフィスインベーダーのなるせゆうせい氏。歳は少し離れているので学内で絡んだことはなかったけれど、早稲田大学の先輩だ。僕は『ハンサム落語』『ディアボリック・ラヴァーズ』と言う作品に出演したことがあって、その後、なるせさんが総合演出を務める『イムリ』と言う作品の脚本・演出をやらせてもらった。それすら随分昔で、今回は久しぶりにご一緒する。 久しぶりに連絡が来たのは何年か前で、僕がカンボジア に井戸と学校を作る「ジュロコロ基金」を始めた時だった。理由も告げられずに会おうと言われ、なんだか続きをみる
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10月6日ヒートテック、トレーナー、コート、という格好で出掛けている。寒いのは苦手だ。今が、秋なのだっけ?梨とか栗とかを食べたら秋という感じがするけれど、まだあんまり食べていない気がする。寒い空気には「冬め!」と言いたい気持ちもする。でも、本気の冬はもっと寒いよな、と思うから、まだ冬ではないんだろうと思う。冬を舐めないでおく。「気温の感じ」はよくわからないままだ。今日24℃だってさ!と言われても、それがどのくらいかわからない。みんなが半袖の場所でいつも自分だけ長袖を着ている。それでいて汗はよくかく。季節ってなんだろう。「ここ20年で一番の寒さ」みたいな言い方を毎年聞く気がする。気候がおかしくなってて地球がまずい、という話は子供の頃から深刻に受け止めているけれど、「エコ」も「SDGs」もどこまで信じていいの?と言う気はしてる。とりあえず、炭酸水をよく飲むのだけど、買うたびにペットボトルを捨てなくちゃいけないことがいつも後ろめたい。ソーダストリームっていう、家で炭酸水を作る機械を買うか?とずっと悩んでいるけど、実は口ばっかりで、クオリティオブライフを高めることにそこまで前のめりになる才能があんまりない。一周回って、最近は近所で井戸水を汲ませてくれるところから水をもらって飲んでる。こだわらなさすぎるが故、すごいこだわってる人みたいな結論になってしまった。アトリエの水道自体は、「建物が古すぎて水道管に金属が溶け込んでいるかもしらないから飲まない方が良いかもしれない」と年老いた建物オーナーに言われ、飲めないでいる。もしかしたら飲んでも大丈夫なのかも知れない。。。。先日俳優の君沢ユウキという友人と現場で会った。同い年なこともあって仲良しなんだが、冬に現場が同じになる、嬉しい。それはともかく、このユウキという男、身体がすごい。年中笑っていて、海外から輸入するサプリメントに詳しく、筋トレばかりしている男だ。なんでもパパがボディビルダーらしい。筋肉には才能があると聞いたことがある。生まれつき、筋肉量や性質に個性があるらしい。ユウキは、おそらくかっこいい筋肉の才能があるのかも知れない。触ってみたら明らかにすごかった。で、また別現場。いま、ヘンリー4世というシェイクスピア作品をやってる。そこに、串田十二夜という俳優がいる。ジュニ、と呼んでる。このジュニ、可愛らしい顔、いわゆる童顔なのだと思うんだけど、どうも体つきがおかしい。分厚いのだ恐る恐る、「がたいよくない?」ときいたら、「ボディビルダー目指していたことがあるんです」と。筋トレをしたくなるものだ。服にお金や時間をかけるより、自分の筋肉を育てる方がいいと聞いたことがある。一番のインナーマッスルなのだ、てことだろうとおもう。。。。稽古場通いの毎日が始まってる。「出勤型」の仕事が始まるとなかなか難しい。山のような宿題たち、そして、膨大なシェイクスピア台詞を覚えねばならぬ、そして相変わらずクラシックの地方公演が今月は5日もある。徹夜の苦しさは構わないけど体調を崩すわけにもいかない。先日、アデノウイルスの結膜炎という、「子供がよくかかる病気」と言うものにかかってしまった。つらいのになんか恥ずかしいというのは切ない。もう治続きをみる
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朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その配信が終わった。10月になったの!?というささやかな驚きもありながら、夏休みが終わった気持ちに今年もすこしだけ心がぐずってる。何年か後に読み返すこともあるだろうと、一応文章なんてものを書く事にした。 2021年に描いた物語だ。初演の時には絶対に絶対に、人生において長らく続ける大切な作品にするぞとカーテンコールで誓い、翌年に講談社から小説も出させて頂き、新たな俳優たちも迎えて再演もできた。そして3年目、あまりにも豪華な顔ぶれでの朗読劇。 なんて恵まれている物語だろう。この物語のおかげで喜びを噛み締める瞬間が何度も何度もあった。 どうしてそんなに大切な物語なのかということは、色々なところで語ってきた。もっと言うと、2021年の7月、8月の僕のこのブログを遡ってくれると、毎日のように創作日誌というか、魂のうめき声めいた文章が綴られている。今回、末原拓馬やおぼんろの存在自体が初めてと言う方ともたくさん出会えるのだなと思い、作品の経緯を説明したい気持ちもあるにはあって、当時のブログのリンクを投稿したりしようかと思ったけど、中には純粋に物語を楽しみにくくなる人もいるかもしれないと思って控えた。控えつつ、自分でも心の奥底に封印していることなので、いっちょ思い返してみるか、と当時の文章を読み返してみようとしたら、あっという間に涙が止まらなくなってやめた。 劇場配布のリーフレットにも描いてあるけれど、簡単にいうと、この物語は亡き父に捧げたもので、末期癌が見つかって亡くなるまでの1年間の闘病生活、そして別れを踏まえてリアルタイムで描いていった作品です。 病床の父を楽しませようと、「ベッドに寝ている老人のところに、海を盗んで持ってくる少年がいる」と語り始めたのでした。「○○みたいな、わけのわからない夢オチになるんじゃないのww」と父がふざけたのを覚えています。○○というのは、かつて末原家で大批判を食らったあるドラマのことで、とてつもなく謎の解けないサスペンスだと思って興奮していたら、最後、「本人の気が狂ってただけ」というオチで、父と姉が怒り叫んだ、というものです。「いやいや、それはないから!」と笑ったものでした。 父と僕は、2020年の夏、病気が発覚した時に、翌年の夏には車で海に行こうと約束をしました。その後、父の病状は悪化の一途を辿っていましたが、なんか、治っちゃいそうな想像もできていて、なんにせよ、僕は僕の物語執筆力があれば、海に行かなくても海への冒険はできるような気がしていたのです。海へは行けなくとも、せめて劇場で海を見せるぜ!と、まあ、その準備をすることが、僕が悪い想像力に負けてしまわないための精神安定剤的役割を果たしていたこともあります。 ところが、父が亡くなり、執筆作業はいったん大混乱をしました。届け先のないプレゼントを創作する時間は地獄です。しかし残酷にも稽古は開始します。いや、ほんとは稽古開始前に台本というのは完成してあるべきなんですが、ね。僕は仲間たちにさまざまな思いを語り続けました。嗚咽で喋れなくなったりしつつ、 「これから死にゆく老人」としていた殿清を、「先だたれてしまった者」、すなわち、自分自身や、家族、(大人になるにつれ、ほとんどのひとがなる立場)と再設定し直しました。 この物語は、父からみんなへのプレゼント。生きろよ、と、まあ、言うだろうなパパは、と思い、息子の僕が筆を取りました。 父はプロのミュージシャンでした。幼い頃から、家の中は音楽で溢れ、いつだって演奏や作曲、アレンジをする父の姿を見ていました。コンサート、ライブ、レコーディング現場に連れて行かれることも多く、自分が物を創る仕事を始めるようになったことに父の存在が無関係とは到底思えません。僕はなぜか演劇の方へと進み、物語を産み出して公演をするようになりました。そこから、父には僕の作品で使用する音楽、サウンドトラックを依頼するようになりました。最初は、アマチュア息子のとんでもない甘えでしたが、次第に、芝居が自分の仕事と言えるようになり、最近では堂々と「タッグを組んでる」と言えるようになっていました。リュズタンに関しても、父はサウンドトラックを創ってくれました。劇中で使われた音楽たちは、なんと父が医師から余命を告げられてから創った音楽たちです。「楽しい作品がいい」と父は続きをみる
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おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧になり、千穐楽からしばらくSNSから姿を消してしまいました末原です。まとめの文章はいつも苦手で、語り尽くせるわけがない思いを、せめてほんの少しでも語らうと言うブログです。遅くなりましたが、公演へのご参加、心から感謝します。7月頭、稽古を開始したあの頃がとても懐かしいです。「9人の劇団をつくりたい」と話したのが顔合わせでした。劇団員、客演、という壁は全く必要ないと思っていました。「客演さんに迷惑をかけたらいけない」という不安なんかかなぐり捨てて、ふてぶてしいほど仲間扱いをさせてもらおうと思ったのです。劇団公演なのだから、劇団にしかできないような創り方をしたいと思いました。それは「効率の悪さ」です。物創りにおいて、最短距離を探さず、いちいち遠回りし、話し合い、悩み、試し、壊し、捨て、やり直す。そうやって、「初めて創るもの」を追い求める日々は幸福と興奮に満ちていました。1日1日の稽古が冒険めいた物語に満ちていました。素晴らしい座組でした。全員の感性が混ざり合い、この作品になったのです。スタッフ含めですが、誰か1人メンバーが違えばまた違う作品になってしまったろうと思います。その不安定な偶然さに神秘を感じます。けいごが信念と爆発力を与えてくれました。どう考えても変わり者だし、ロジカルスイッチとワイルドスイッチが予測不可能なタイミングで切り替わるのがヘンテコすぎて、だけど本人はいつでも真剣そのもので。初めて会った日からお互いのことを喋り続け、なにも包み隠さず感性をぶつけ合いました。とても尊敬していました。圧巻のラストシーン。あてがきと言うわけではないのだけれど、けいごがいたから完成したのです。ステージの上に存在することにかけてのプロフェッショナリズムは流石としかいいようがなく、どんな時でも、こちらが心配になる程に全力でパフォーマンスをする。体力が無尽蔵なのかと思っていたらそうでもなくて、ちゃんとバテているのに、それでも手を抜かない。セーブしない。その姿に、誰もが勇気をもらったようにも思います。りゅうのすけ。天性のひとなつっこさで座組に生命力を加えてくれました。いろいろなひとの橋渡しになっていた気がする。真剣で、素直で、物怖じしない。役どころは極めて難しかっただろうに、めげずに、焦らずに、それでも怠らずに千穐楽まで努力を続けてくれました。冷静さと、情熱なのか無鉄砲さなのかわからないめちゃくちゃさが同居してて、これからもっと見極めていきたい。声の良さ、見た目の素晴らしさは言わずもがなだけれど、その素質に見合わないほどに、懸命でがむしゃらでい続けられるりゅう。今後がさらに楽しみでもあります。ましゅう。一緒にやるのは2回目。今回は演技についてかなり細かく深い話もしました。自分の中で、今後長く付き合っていく相手だなと思えていたこともあったのだと思います。以前一緒にやったときから驚くほど実力が上がっているように思えて、目を見張りました。稽古期間中、演出意図をよく理解し、日に日に演技が熟していくことに座組一同刺激を受けたものでした。座組や作品への敬意、貢献しようという姿勢も素晴らしく、救われたものでした。頼りになった。本当に、それに尽きるのでした。たいらさん。早稲田大学演劇研究会という、人生で初めて芝居の手ほどきを受けた場所の、大先輩。カリスマ先輩として、伝説を聞いていた存在でした。常に天然ボケで不器用な素振りで、座組の緊張を解きながら、非常に精密に芝居創りをし、稽古期間の中でゴールに行き着くための地図もしっかり描いている、馬鹿のようなふりをしながら、脚本読解も素晴らしくできている。正直、まさかここまですごいのかと改めて驚いてしまったのでした。座組における立ち振る舞いも完璧で、なるほど、少年社中という劇団が有名になったことの要因として、たいらさんの存在はめちゃくちゃ大きかったのだと身をもって知りました。座長がひとり多いような安心感。まあ、とにかく、何より、芝居が素晴らしかった。あんな純度で板の上にいられること、なかなかない。こうちゃん。なんかいつの間にか人生におけ?運命共同体みたいに当たり前の存在になっていて、今回も、突然電話をして拉致監禁したような状態でした。最初は、「その時期は厳しいんだよ」と言われたのだけれど、厳しくてもいいから出てね、と言ったら、結果、こうちゃん、ほぼすべてのスケジュールをあけてくれた。今回は、殺陣師としても素晴らしい才能を発揮してくれた。実は殺陣をつけるところをみたのは初めてで、演劇的アプローチを用いて高速で物語的にアクションつけてくのすごかった。様々なこと相談したし、いろいろな場面で背中も押してくれた。役も素晴らしかった。自分の立ち続きをみる
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海外から帰ってきた。海外にいても思ったより日本の世界は自分の中に続いていたし、日本に戻ってきても想像以上に海外は自分の中に止まってる。どこにいても自分は自分、よくもわるくもよくも。バイキングにおいて食べきれない量の食べ物をお皿に乗せてはいけないのと同様と言うか、再会しきれないほどの友人を使っては行けないんじゃないかというようなことを心のどこかで思っていて、人生で好きな瞬間ランキングの相当上位に入るであろう「出会いの瞬間」なのだが、慎重にもなりかける。また会いたいと思える人がたくさんいるというのは長生きをする自分への言い訳になるしとてもいいのだろうけれど、心のどこかで、全員との再会は出来まいな、とわかってもいる。せめて心の中にこの人の存在を留めておこう、なんてことも思うけれど、それさえも、不可能とわかってる。忘れることは人間の脳のすごい機能なんだぞ、と誰かが言っていた。いちごいちえ、という言葉、なるほどさすがだ。出会って、わかれる。旅先ってそういうもんだ。そして、じんせいははくたいのかかくなり、って言うように、生きることすなわち旅みたいなものなんでしょう。ドイツのカラス。ちゃんと外国風だ。外人ならぬ外鳥。でも、カーカーという鳴き声は聞いてない気がする。鳴き声もドイツ語なのだと思う。自分の名前の2文字目に縦棒を一本入れられたせいで耳が伸びてニンジンを好きで目が赤くなりそうになったウナギ。チェコの、出版社とビール屋が合体したところ。編集長がビールを注いでくれる。そこの犬が底抜けにかわいかった。ここではレッドツェッペリンがそれなりの大音響で鳴り響いていて、よかった。モルドバでも、ドイツでも、チェコでも、60〜80年代のロックがそこかしこで流れていて、そのことに大きな感動をした。このことについては、ほんと、いつか長らく時間かけてちゃんと話したいのだけど、簡続きをみる
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