お笑い芸人の矢部太郎が昨年出版した漫画「ぼくのお父さん」(新潮社)が15万部を突破するなど反響を呼んでいる。前作の「大家さんと僕」シリーズは累計100万部を超える大ヒットとなっていたが、今作執筆にあたり「プレッシャーはなかった」と振り返る。また、「ぼくのお父さん」は父親で絵本作家であるやべみつのり氏がテーマ。前作とは異なり、父がかつて家族の日常をつづっていた「たろうノート」をもとに描いていったといい、「あの頃の風景や家族や二人目の子どもとして生まれてくる自分自身を見ることができて不思議な体験でした」と語った。
前作「大家さんと僕」は大ヒットも、プレッシャーはなし「書きたいように書かせてもらえた」
――苦労した点や力を入れた部分など、「ぼくのお父さん」執筆時のエピソードをお聞かせください。
子どもの頃って世界が鮮やかで、すべてが新しかった気がして、そんな世界が描きたくてオールカラーで描いてみました。カラーで漫画を描くのは初めてで、考えることがたくさんあって、途中やらなければよかったかなと思ったこともありましたが、白黒より原稿料も高くてよかったです(笑)。なにより出来上がった本がとても美しくて、物としても、とても良いものになったと思います。誰もが子どもだったことを思い出すことができたらいいなとも思っています。
――「ぼくのお父さん」は15万部を突破しました。大きな反響となっていることについてはいかがでしょうか。
とても嬉しく思います。父が書いていた日記のようなノートをもとに書いたので、そのノートがたくさんの人に読んでもらえたような気持ちもあって嬉しいです。
――前作「大家さんと僕」に続く作品となりました。前作もかなりの大ヒットとなりましたが、今作執筆にあたりプレッシャーはありましたか。
なかったです。「ヒットさせましょう!」みたいなことを誰にも言われず、言われてたけど、僕が覚えていないだけかもしれないですが…。書きたいものを書きたいように書かせてもらえてとても幸せでした。
“とにかく一緒にいた”父との思い出「誰かと同じでない自分だけの幸せがあった」
――前作と比べて、執筆方法など、変化した部分はありますか。
「大家さんと僕」は大家さんと過ごした日々やお話ししてくれたことを僕の目線からマンガにしていきました。今回は父が、僕が子どもの頃に、家族の日常を日記のように短い文章と絵で書いていた「たろうノート」をもとに描いていきました。全部で何十冊もあったので読むのが大変でした。でも父の目を通して、あの頃の風景や家族や二人目の子どもとして生まれてくる自分自身を見ることができて不思議な体験でした。
ノートを読んで思ったのは、父も悩み、迷いながら生きていたということです。それは現在の僕自身とも重なりました。記憶の中にあるぼくとお父さん。父のノートの中の父とぼく。それを読んだ僕。そういったいくつかの視点から今回のマンガを書いたことは変化した部分だと思います。
――「ぼくのお父さん」ではお父様とのエピソードが描かれています。幼少期でのお父さんとの思い出で、一番思い出深いものは何ですか。
とにかく一緒にいたなあという記憶があります。動物園に行って絵を描いたり、一緒に工作をしたり、仕事もしていたと思うのですが、友達のようにずっと一緒にいました。プールで迷子になったり(お父さんが…)、ゼロから縄文土器を作ったり(粉々に割れて大失敗でしたが…)、ずっとお金にならない絵をかいていたり…。誰も憧れないだろうなあという毎日でしたが、父はいつもごきげんでした。誰かと同じでない自分だけの幸せがあった気がします。
――お父様は絵本作家ですが、影響を受けた部分はありますか。また、アドバイスされたことがあれば、どんな内容だったかお聞かせください。
マンガの中にも描いているのですが、父と子どもの頃に一緒に絵を描いたり廃品工作をしたり、縄文土器を作ったりするときに「自分らしいもの」、「誰とも似ていないもの」が良いものだと父が言っていたような気がして、そういうものになったらいいなと思っています。
直接もらったアドバイスは「お母さんの話をもっと書いたら」と言われました。もともと連載分に加えた書き下ろしのエピソードは母の話を書こうと思っていたのですが、その言葉のおかげで、もう一度全体を見直し、本の中で母の印象がより大きなものになったと思います。